井殿の塚(いどののつか) おんな城主 直虎 ゆかりの地




井殿の塚(いどののつか)

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井伊谷城跡から二宮神社と歩き足切観音、

晋光寺と巡り井殿の塚(いどののつか)へ

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井伊直盛(直虎の父)は、子供に男子がいなかった為、その跡継ぎに直親(直盛のいとこ)を迎え、

直虎の婿養子にしようとしました。

この事を快く思わなかった、家臣の小野道高は、井伊直満(直親の父)と、

その弟、井伊直義が武田信虎と内通していると今川義元にウソの密告をします。

その為、謀反の疑いをかけられた直満と直義は自害を命じられました。

井伊谷の人達がこれを憐れみ、供養の為に築いたのが井殿ノ塚です。

幕末には、井伊直弼もここを参拝し、石垣などを寄進したと言われています。

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井殿の塚

井伊直政の祖父、井伊直満とその弟 直義を祀った塚です。

直満と直義は、天文13年(1544)、今川義元と内通していた井伊家の家老小野泉守政直の
讒言により謀反の疑いをかけられ駿府で殺害されました。

事件後井伊氏居館の一画に供養のための塚を築きました。

塚の上には砂岩制の宝篋塔が残っています。塔身などの江戸時代以降の補修がみられますが、
本体は16世紀の特徴がうかがえます。

* 塚を覆う大樹はタブノキです。

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花が手向けられている。

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タブの木にも花が、

今でも周りの人によりきちんとご供養されているのが素晴らしい!

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