丸子アルプス・(ロンショウ 飯間山 大鈩山 駿河峰 梵天山 徳願寺山)




丸子アルプス・(ロンショウ 飯間山 大鈩山 駿河峰 梵天山 徳願寺山)

旧東海道 宇津谷峠・鞠子宿(丸子宿)

焼津アルプスの北に位置する「丸子アルプス」を周回してきました

人気の焼津アルプスとは違い、静かな山歩きが楽しめます

下山後は東海道を旧宇津ノ谷峠へ

ロンショウ(朝比奈)

標高 412.3m 登山日 2020年1月11日
ロンショウの丘からは深南部の展望
所在地   静岡県静岡市葵区飯間

飯間山(いいまやま)

標高 481.5m 登山日 2020年1月11日
木々に覆われた静かな山頂
所在地  静岡県静岡市葵区飯間

大鈩山(おおろやま)

標高 356m 登山日 2020年1月11日
山頂近くの鉄塔に展望地
所在地  静岡県静岡市駿河区丸子 大鈩

駿河峰(するがみね)

標高 410m 登山日 2020年1月11日
丸子アルプス中間のピーク
所在地  静岡県静岡市葵区吉津

梵天山(ぼんてんやま)

標高 375m 登山日 2020年1月11日
丸子藁科トンネル上のピーク
所在地  静岡県静岡市葵区牧ヶ谷

徳願寺山(日向山)

標高 352m 登山日 2020年1月11日
城跡でもある山頂から静岡市街を望む
所在地  静岡県静岡市駿河区丸子

難易度 ★★     オススメ ★★ 登山口(ナビ検索) 宇津ノ谷峠
道の駅宇津ノ谷峠(08:05)→旧宇津ノ谷峠(08:19)→宇津ノ谷峠(08:37)→ロンショウ(09:41)→飯間山(10:00)→大鈩山(10:35)→駿河峰(11:03)→歓昌院坂(峠)(11:23)→梵天山(11:43)→徳願寺山(11:55)→111P(12:33)→東海道20宿丸子宿(13:06)→逆川口(13:45)→道の駅宇津ノ谷峠(13:56~14:09)→明治のトンネル北側出口(14:22)→宇津ノ谷峠(14:24)→明治のトンネル南側出口(14:25)→道の駅宇津ノ谷峠(14:44)→ゴール地点G(14:46) 所要時間 6時間44分 累積標高 1353m / 1355m 距離 20.4km
■宇津ノ谷地区は静岡市の西端、旧東海道の丸子宿と岡部宿の間に位置し、街道を往来する旅人たちが休憩した静かな山あいにある40戸ほどの集落です。ここでは、街道の面影を残す懐かしい雰囲気を感じることができます。当地区では、地元住民などによる協議会をつくり、歴史や街道の面影を継承していく活動をしています。また、静岡市では、この地区を都市景観条例で「美しいまちづくり推進地区」に指定し、街道の面影を残すまちなみの保存に取り組んでいます。そして、この活動が評価され、国土交通省による平成17年度都市景観大賞「美しいまちなみ賞」の美しいまちなみ優秀賞を受賞しました。
■丸子アルプスは焼津アルプスの北に位置します。旧東海道の丸子宿、徳願寺山から宇津ノ谷峠までの低山は緩やかなアップダウンが続く。山中に展望は少ないが、山道は整備されており静かな山歩きを楽しむことができる。
■ー
■ー

「静岡の百山」は、東部から西部、北部まで静岡県内の山が幅広く選ばれています。 叉、海岸近くの低山から南アルプスの3000mを越える山までバラエティーに富んでいます。 本自体は山名の由来、歴史など生活に密着した山の説明が中心で、登山のガイドブックではありません。 山の知識を深め、より楽しむための本です。

道の駅 宇津谷峠(下り)

登山口

宇津の谷峠越え 蔦の細道へ

一つの峠に4つ時代(明治 大正 昭和 平成)のトンネルがあります

ようこそ丸子路へ

東海道の難所 宇津ノ谷峠(国指定名勝天然記念物)

蔦の細道(平安の道)

峠の伝説十団子(慶龍寺)

峠越えの古い東海道

秀吉からの陣羽織 御羽織屋

一つの峠に4本のトンネル

明治のトンネル 標高115m 長さ203m

大正のトンネル 標高107m 長さ227m

昭和のトンネル 標高70m 長さ844m

平成のトンネル 標高70m 長さ844m

「蔦の細道(平安の道)」

在原業平の歌より名付けられたそうです

蔦の細道の文学

在原業平より約400年後(鎌倉時代1182-1333)藤原定家の子為家の側室阿仏尼は鎌倉幕府への旅に出た。当時日本は元が来寇して来た。文永・弘安の両役の最中だった。物情騒然殺伐たる東海道での女旅。建治3年(1277)10月のことである。(出発日が16日だったのでこの日記を十六夜日記という)うつの山こゆるほどにしも、あざりの見知りたる山ぶし行き逢ひたり。夢にも人をなど、昔をわざとまねびたらむこゝちして、いとめづらかに、をかしくもあはれにもやさしくもおぼゆ。いそぐ道なりといへば、文もあまたはえかゝず、唯やんごとなき所、ひとつにぞおとづれきこゆる。
「我がこゝろ うつゝともなし うつの山 夢にも遠き むかしこふとて。
つたかへで しぐれぬひまも うつの山 なみだに袖の 色ぞこがるゝ」。
こよひは、手越といふ所にとゞまる。なにがしの僧正とかやのぼり給ふとて、いと人しげし。やどかりかねたりつれど、さすがに人のなき宿もありけり。
廿六日、わらしな河とかや渡りて、息津の濱にうち出づ。

これから向かう「丸子アルプス」

蔦の細道 出合

「蔦の細道 出合」満観峰との分岐

宇津ノ谷峠

展望地より

ロンショウ(朝比奈)(412.3m)

三等三角点

ロンショウの丘より

見え難いですが深南部 南アルプスの絶景

飯間山(481.5m)山頂

三等三角点

満観峰 高草山

七ツ峰 三ッ峰 の横から南アルプス

安倍東山稜

大鈩山(356m)山頂

駿河峰への登り

駿河峰(410m)山頂

四等三角点(堂ヶ谷)

歓昌院山

梵天山(375m)山頂 二等三角点

徳願寺山(352m)山頂

真言宗 大窪寺 (元 徳願寺)跡です

徳願寺山

徳願寺山(とくがんじやま)は、静岡県静岡市駿河区丸子にある山。大窪山とも言う。標高352メートル

静岡市西部の安倍川右岸(西岸)にそびえる。中腹には徳願寺という寺がある。山頂までハイキングコースが整備されている。山頂から徳願寺付近には徳願寺山城跡があった。歌川広重の浮世絵「東海道五十三次」の19番「府中」において安倍川の渡しの背景に描かれた山がこの徳願寺山とされる。この背景の山を「賤機山」とする解説も見られるが、賤機山は安倍川左岸(東側)のやや離れた位置にある低山で、このように迫るように見えることはあり得ない。  Wikipedia

徳願寺山城

徳願寺山城(とくがんじやまじょう)は、静岡県静岡市駿河区丸子・向敷地にある徳願寺山に所在する日本の城跡(山城)。同城についての伝承や史料はほとんど無く、城主や年代などに不明な点が多い。

標高352メートルの徳願寺山山頂から、東側斜面の徳願寺(江戸時代までは「得願寺」)付近に位置する。同山山頂は「仏平」と呼ばれ、12世紀頃には「駿河七観音」の1つで徳願寺の前身とされる真言宗の大窪寺(だいわじ / だいあじ)があったと伝わる。山頂部は発掘調査されていないが、旧山岳寺院兼山城の曲輪とされたらしく、堀切や虎口とみられる遺構が残る。また東側斜面の麓には「向敷地字堀ノ内」という地名があり、中世城館があったとする説がある。東側斜面の標高約150メートル付近には「大段」と呼ばれる平坦地が、その南側の標高約130メートル付近にも「平城」と呼ばれる平坦地がそれぞれあり、現在は徳願寺の境内となっている。徳願寺付近から山頂方面の斜面には「ズラシ」とよばれる竪堀状の遺構がある。この「平城」付近では、農道整備事業に伴い1986年(昭和61年)から1992年(平成4年)にかけて4次にわたる発掘調査が行われ、古墳時代後期の古墳群(徳願寺古墳群・平城古墳群)と共に、稜線を断ち切る堀切や腰曲輪状の造成面など、中世の城郭と見られる遺構が発見されている。静岡市の発掘調査報告書では、城についての史料的根拠が乏しいことから、山頂部の城郭遺構と、東山腹の「平城」付近で発掘された城郭遺構、さらに麓の城館伝承地(字堀之内)すべてを徳願寺山城として考証することを避けているが、出土した遺物などをもとに、12世紀〜13世紀には山頂部で伝・大窪寺が栄えていたが、14世紀の南北朝の動乱により寺が衰退して山城化が進み、徳願寺山城が成立し、15世紀には東側斜面の「大段」を一ノ曲輪としつつ、1476年(文明8年)に大窪寺の千手観音を大段に移して得願寺が開山し、江戸時代の1688年(元禄元年)には二ノ曲輪だった「平城」に寺が移って山城遺構は消滅していった、とする変遷を復元している。同城の築城者や布陣した勢力については史料がなく全く不明であるが、静岡古城研究会の水野茂は、大規模な山城であることから、今川氏かそれ以上の軍事力を動員できる勢力が想起されるとして、1433年(永享5年)に今川範忠の家督継承に反対して起きた国人一揆鎮圧のために室町幕府の命で派遣された、三河・遠江守護の斯波氏の部隊である可能性を提示している。  Wikipedia

安倍川と静岡市街地 日本平

徳願寺 山門

曹洞宗 大窪山 徳願寺

静岡市駿河区向敷地、静岡の市街地を見渡すことができ徳願寺山の山腹に建つ曹洞宗 大窪山 徳願寺(とくがんじ)です 今川氏ゆかりの寺院で、6代目当主 今川義忠の妻(北川殿)の菩提寺です。北川殿は、息子の今川氏親が、小鹿範満と家督を争った際、自身の兄弟である北条早雲の助けも借りて氏親を支えました。

徳願寺の前より

徳願寺山を望みながら下山

丸子宿

旧東海道を歩き戻ります

水神社

丸子宿本陣跡

丁子屋

歌川広重が東海道五十三次に描いた 「丁子屋」

名物の「とろろ汁」美味いです

江戸時代の丸子宿

駿河国有度郡丸子宿 駿府町奉行所支配所

一 丸子宿の成立
慶長6年(1601)徳川家康により東海道の伝馬駅として指定される
一 位置
江戸へ46里4町10間(約180粁)
府中へ1里16町 岡部へ2里
一 宿内人口 総数795人
内 男366人 女429人
一 宿内家数 211軒
一 宿泊施設 本陣1軒 建坪280坪
脇本陣2軒
旅籠屋 大2軒 中16軒 小6軒
一 問屋場 一ヶ所 人足100人 馬100疋
一 高札場 一ヶ所 宿場入口に立つ

高札場

徳川綱吉が将軍時、1682年発布の「天和の高札」

丸子宿での人足や馬による運搬料金を定めたものです

1980年に近隣の津島神社で発見さたそうです

これだけ巨大な高札は全国でも珍しいそうで、

1985年に静岡市の有形文化財に指定されました。

丸子アルプス

丸子川沿いを歩きながら

奥に歩いてきた尾根

東海道を戻り

旧宇津谷トンネルを目指します

ようこそ宇津ノ谷峠へ 案内板

宇津ノ谷

宇津ノ谷は丸子、岡部両宿の間に位置する間宿です。行交う旅人が宇津ノ谷名物「十団子」を求めたり、無事に峠を越えてほっと息をついたところです。ここからの眺めは昔も今も変わらず、山間の集落の景観は、当時を彷彿とさせてくれます

旧宇津ノ谷トンネル(明治のトンネル)は旧東海道鞠子宿と岡部宿の間、宇津ノ谷峠にあります。 宇津ノ谷峠には明治・大正・昭和・平成と時代ごとに4つのトンネルが並行した珍しい場所でその中でも明治のトンネルは道銭徴収が認められた日本初の有料トンネルで現役トンネルとして日本初の国の登録有形文化財に指定されています。

お羽織屋

秀吉公のお羽織の由来

天正18年(1590)秀吉が小田原の北条氏を攻めたとき、宇津谷(うつのや)に休息した。その際、当家の祖先が馬の沓を献上し、また戦陣の勝利を示すような縁起のよい話をしたので、帰りに立ち寄って与えたのが、当家所蔵のお羽織である、。表は紙、裏はカイキ(注:和紙と絹でできた陣羽織)、後に家康もこの羽織を見て、記念に茶碗を与えたが、これも当家に所蔵されている。  東海道宇津谷    石川家

旧宇津谷トンネル

旧宇津谷トンネル(明治時代)

国の登録有形文化財に指定されています

  • このエントリーをはてなブックマークに追加