高山(1095.41m) 智者山神社
大井川鐵道の千頭駅より高山〜智者山神社を周回してきました
高山(たかやま)
標高 1094m | 登山日 2021年3月7日 |
無双連山から続くピーク | |
所在地 静岡県榛原郡川根本町文沢 |
難易度 ★ オススメ ★ | 登山口(ナビ検索) 千頭駅 |
スタート地点[千頭駅](08:22)→川根大橋付近広場(08:29)→高山(10:29)→八草辻(11:35)→智者山神社(11:48~11:57)→川根大橋付近広場(13:03)→ゴール地点G[千頭駅](13:22) 所要時間 4時間58分 累積標高 1353m / 1353m 距離 22.3m | |
■智者山神社駐車場、奥大井湖上駅からのハイキングコースで知られる天狗石山の南側の登山口にある智者山林道沿いの路肩スペース。アクセスは新東名高速の島田金谷インターチェンジを下りて国道473号線の川根本町・川根温泉方面へ左折、14.8kmほど先の川根交番西の交差点で県道63号線へ右折して大井川の左岸側を進み、再び右岸側に渡り国道362号線と合流し静岡方面との分岐を県道77号線の寸又峡・千頭方面方面へ直進する(もしくは新東名の静岡スマートICから国道362号線の川根本町方面へ向かう)。寸又峡温泉方面との分岐を直進して400mほど先に智者の丘公園の案内板ある交差点を右折すると林道に接続し、6.7kmほどで智者山神社の鳥居前に駐車余地がある。智者山・天狗石山の登山道は神社の奥に続いている。 (登山口ナビ) ■智者山神社には天乃水分神(あめのみくまりのかみ)が祀られていて、大井川の下流地域から雨乞いの人々がやって来たと言います。今は「智者」という名前から、合格祈願の絵馬がたくさん奉納されています。千頭駅から車で30分 ■ー |
大井川鐵道 千頭駅
県道77号(川根寸又峡線)川根大橋から智者山方面
国道362号と交差し本川根B&G海洋センター方面へ
徳谷神社(小長谷城址)
徳谷神社(小長谷城址)へ
小長谷城は南北朝時代、徳山城を本拠地として周辺を治めていた土岐氏の一族、
小長谷氏によって築かれたとされています。
小長谷氏は駿河守護の今川氏に属し城を治めていたとされており、
戦国時代に今川氏が没落すると、
甲斐より侵略してきた武田氏の統治下におかれることになりました。
しかし、天正10年(1582年)の武田氏滅亡により小長谷城は落城したとされています。
本丸跡には元和五年(1619)に遷座再建された徳谷神社が建っています
町文化財 小長谷城 案内板
町文化財 小長谷城 案内板
「小長谷城」は「小長井城」または「徳谷城」とも呼ばれ、中世にこの地に居住した武将小長谷(井)氏の居城と伝えられています。築城年代その他の史実は明確ではありませんが、現在残されている遺構は室町時代中期(15世紀ごろ)以降のものであろうと推定されます。
小長谷(井)氏は、今川氏が駿河守護大名として一帯を支配していた頃今川家に属していました。しかしその後永禄11(1568)年武田信玄の駿河侵攻により、武田方に降り武田氏の指揮下のもとに城の大改造が行われ、天正10(1582)年武田氏滅亡の頃と前後して、当寺の城主長門守政房によって廃城になったものと推測されております。
小長谷城は城郭の種類としては規模はそれほど大きくはないが、山地を利用した三段の曲輪配置は、中世城郭の平山城に属し、大井川上流地域における歴史を物語る城郭の遺構として高く評価されております。
■位置
現在の遺構は徳谷神社境内地(約14,000㎡)である。B&G本川根海洋センター敷地も、その城域であったが、敷地内の堀は埋められた。
■空掘
一号堀から五号堀まで残っており、とくに三号堀と四号堀は武田氏による改築が行われ、これが甲州流築城術の証である。
■本丸・二の丸・三の丸・曲輪
神社の鳥居から社殿にかけて三段の曲輪があり、一番奥が本丸、次が二の丸、三の丸と呼ぶべきであろう。左手には付属の曲輪一、二がある。
■土塁
本丸・二の丸・三の丸・付属曲輪を仕切る土塁を設け、さらにこれらを囲む土塁があり見事な遺構をとどめている。
■井戸跡
直径1.3m、深さは埋没してよく判らない。江戸末期に著された「波摩都豆羅」と「駿河志料」に、この「古井戸」が記録されている。
四等三角点(622.43m)(柿平)
徳谷神社(小長谷城址)の先、沢沿いから尾根へ
途中の四等三角点(柿平)を経て林道へ
高山(1095.41m)
三等三角点(高山)
林道 無双連山線
林道 幡住線を経て
富士城集落から林道八伏線へ
護應土城址 案内板
護應土城址は徳山城跡(無双連山)の支城だったそうです
八草辻
前回、七ツ峰・天狗岳方面の展望が良かった八草辻
智者山神社
ここから山頂まで登り尾根を下る予定でしたが、林道で下ることに
智者山神社は智者山(1291m)の南山麓にあり
御祭神は大山津見神・猿田毘古神・天之水分神の三神
山の安全を守り、古くから雨乞いの神としても信仰され、
明治時代以降は戦いの守り神としても崇められてきました。
御祭神 中の一神「天乃水分神(あめのみくまりのかみ)が祀られています
古くは大井川の下流地域から雨乞いの人々がやって来たと言います。
今は「智者」という名前から、
合格祈願の絵馬がたくさん奉納されています。
社殿右奥の御神木の横から智者山(1291m)への登山口
山頂までは50分程度のコースタイム
智者山観音堂
智者山観音堂には千手観音を祀る
約7kmの智者山林道(智者山神社参道)沿いには、
昭和9年3月に寄進された三十三体の観音像が祀られています
番号とともに寄進者の名が刻まれています
平栗集落
平栗 猿田彦神社
智者の丘公園 桜の名所だそうです
智者山神社・智者山観音像入り口
智者山(標高一、二九一メートル)の中腹に鎮座する智者山神社は創建時代こそ定かではないが、嘉吉二年(一四四二年)の棟札も保存され室町時代前期に創建されたものと推定される。古くわ「十二所権現」後に「智者山権現」と称せられ、明治三年四月に「智者山神社」と改称された。大山津見神・猿田毘古神・天之水分神の三神、そしてすぐ脇の観音堂には千手観音が祀られ、毎年春と秋の彼岸の中日に例祭が催されている。昔から雨乞・授乳の神として近郷の信仰を集め、最近では交通安全祈願をはじめ「智者」に因み、入試合格の祈願も少なくない。現地点からの参道(約七キロメートル)には、昭和九年三月、信者から寄進された三十三体の観音像が祀られ信仰とともに智者山参拝者の導しるべともなっている。 昭和六十一年七月 川根本町 観光協会
音の散策路「やんばいコース」
大井川鐵道 千頭駅