蓬萊橋(ほうらいばし)世界で一番長い木造歩道橋・静岡県島田市




蓬萊橋(ほうらいばし)世界で一番長い木造歩道橋・静岡県島田市

大井川にかかる蓬莱橋(ほうらいばし)は、

明治12年に大井川に架けられた木造の橋で、全長897.4メートル、通行幅2.4メートル、

平成9年12月30日「木造歩道橋として世界一の長さ」としてギネス認定されました。

現在も農道として利用されており、貴重な歴史的土地改良施設として

県内外から多数の観光客が訪れている他、映画やテレビドラマなどの撮影でも

たびたび利用されている人気スポットです。

また、長い木=長生きの橋・全長897.4m「やくなし=厄無し」の語呂合わせで

縁起のいい橋としても人気があります。

国内では数少ない賃取橋(ちんとりばし)としても有名です。

大井川にかかる蓬莱橋へ

全長897.4m、幅2.4m、世界一長い木造歩道橋としてギネス認定されています。

橋より約100m上流側、県道沿いと蓬莱橋下流(河川敷)の駐車場が無料で利用できます。

尚、対岸に駐車場はありません。

蓬萊橋(ほうらいばし)

所在地  島田市南2丁目地先

電話番号 蓬萊橋 090-7866-1056(橋の状況や料金)

島田市観光協会 0547-46-2844(周辺の観光案内)

島田駅前観光案内所 0547-37-1241(周辺の観光案内)

島田市産業観光部 観光課 0547-36-7163(周辺の観光案内)

営業時間 渡橋時間 終日(工事の為渡れない時がある)

休業日  ※荒天や工事時は、通行制限及び渡橋不可の場合があります。

入場料  大人(中学生以上)100円・小人(小学生) 10円

未就学児 無料 ※障害者手帳をお持ちの方 無料

駐車場  県道沿い駐車場または蓬莱橋下流の駐車場をご利用ください。

●第1駐車場(橋より約100m上流側)普通車26台

(うち身体障がい者用2台)・観光バス11台

●第2駐車場(河川敷)普通車50台

(うち身体障がい者2台)(※大型不可)

※駐車場は無料です。

※蓬莱橋南側(大井川右岸)には駐車場はありません。

アクセス 東名高速道路「吉田IC」より15分(約7km)

新東名高速道路「島田金谷IC」より17分(約8km)

国道1号「旗指(はっさし)IC」より10分(約4km)

JR島田駅より徒歩約20分(1.5km)

勝海舟像

北側橋端には勝海舟の銅像とギネス認定モニュメント、

明治時代に勝海舟たちの命を受た旧幕臣たちが

牧之原台地の茶畑の開墾を開始したことに因みます。

牧之原台地を見守る 勝海舟像

島田市博物館に設置していた勝海舟の全身ブロンズ像を蓬莱橋に移設し、2017年3月21日に除幕式を行いました。(像の高さ 約2メートル)

勝海舟は、1869年から牧之原台地の開墾に従事した旧幕臣たちを物心両面で支えたと伝えられています。このことが現在の島田市のお茶の生産にも繋がっています。この功績をたたえて、牧之原大茶園を望める場所に勝海舟像を設置しました。

897.4茶屋

蓬莱橋は国内では数少ない賃取橋(ちんとりばし)です

蓬莱橋「897.4茶屋」横の料金所で通行料「大人100円・小人10円」を支払います。

蓬莱橋(ほうらいばし)
世界一長い木造歩道橋 

牧之原台地開墾のために生まれた橋

大井川右岸にある牧之原台地は全国でも有数の茶園として知られています。蓬莱橋は牧之原台地の開墾のため、明治12(1879)年に架けられた農業用の橋です。橋ができる前は大井川を小舟で渡らなければならず、行き来するのに危険を伴っていました。
現在も旧市内の農家が対岸の茶園を管理するために利用しています。蓬蓬莱橋は農道としての重要な役割を担うほか、歴史的土地改良施設です。

【蓬莱橋の歴史】

1869年(明治2年)7月、最後の将軍徳川慶喜を護衛してきた幕臣たちが大井川右岸、初倉にある牧之原を開拓し、お茶を作り始めました。

そこで、島田宿の開墾人総代達は、時の静岡県令(現在の知事)に橋をかける願いを出し、これが許可され、1879年(明治12年)1月13日に蓬莱橋が完成しました。

しかし、蓬萊橋は木橋のため、大井川の増水のたびに被害を受けてきたので、1965年(昭和40年)4月にコンクリートの橋脚に変え、今日の姿となりました。

1997年(平成9年)12月に「世界一長い木造歩道橋」として英国ギネス社から認定を受け、全国的にも有名な観光名所となりました。

2003年(平成15年)3月には高輝度LED照明機器が設置され、日没とともに緑色の光が橋の輪郭を浮かび上がらせ、幻想的な空間を演出し、島田市民にも大井川の自然と一体となった木橋として親しまれています。

【パワースポットとしての蓬莱橋】

蓬萊橋は、その長さが「897.4m」ということから「やくなし」=「厄無し」、「長い木の橋」=「長生きの橋」など、厄払いや長寿のご利益スポットでもあります。

橋の対岸は散策路となっていて、長寿祈願の鐘や七福神像などのご利益ポイントが点在しています。

(島田市観光協会)

蓬莱橋の由来

明治3年4月13日、静岡藩七十万石の藩主となった徳川亀之助(とくがわかめのすけ)=家達(いえさと)は、藩内の志太(しだ)・榛原(はいばら)・小笠(おがさ)の三郡を見回りました。

そのとき、谷口原(やぐちばら)の中条金之助景昭(ちゅうじょうきんのすけかげあき)の住まいに立ち寄りました。
中条景昭は、明治2年、牧之原(まきのはら)開墾のため入植した幕臣(幕府につかえていた者)で、名前を潜蔵(せんぞう)と改めていた。
徳川亀之助(とくがわかめのすけ)は、谷口(やぐち)から大井川(おおいがわ)を越して御請新田(おうけしんでん)へ移り籠(かご)に乗って堤防沿いを見回りました。
横井十番出(よこいじゅうばんだし=いまの野球場入口付近。出(だし)は突堤のこと。)のあたりの堤防改修工事を視察した後、しばらく休けいしました。お供をしてきた潜蔵(せんぞう)に向かって、「農は里の宝、向こうの山は宝の山、みなで力をあわせ宝の山を切り開けよ。」と谷口原(やぐちばら)を指さし激励しました。

その後、谷口原(やぐちばら)は開墾がすすみ、島田町の開墾農家の人たちが、橋をかけてほしいという願いを県に提出しました。
明治11年12月5日には許可がおり、翌12年1月下旬には、いよいよ橋ができ上がりました。
そして、橋に名前をつけようということになりました。いろいろ意見が出ましたが、町内の識者に意見を聞いたところ、「藩候が谷口原(やぐちばら)を宝の山とおっしゃったことがある、それにちなんで『蓬?橋(ほうらいばし)』にしたらどうか。」と言ったので「それがいいだろう」ということになり、明治12年1月13日付けで、正式に「蓬莱橋(ほうらいばし)」が誕生しました。

江戸時代、大井川は東海道最大の難所として知られていました。

様々な目的から架橋や渡船は許されておらず、

川を渡るためには川越人足に頼るしかありませんでした。

明治期その大井川に、旧幕臣が茶畑として開拓した牧之原台地と、

東海道の島田宿を結ぶために、1879年(明治12年)に架けられたのが蓬萊橋です。

架設後の橋は大井川の氾濫で幾度も被害を受けたため、

1965年(昭和40年)に橋脚部分だけはコンクリート製にする改造を施しています。

川下側に鉄筋コンクリート製の新橋である島田大橋(静岡県道34号島田吉田線)が

架けられてからは、地元の人たちは島田大橋を利用するようになり

蓬萊橋の交通量がほとんどなくなりましたが、

1997年(平成9年)12月30日に「世界最長の木造歩道橋」として

ギネスブックに認定されてからは観光客たちが訪れるようになりました。

ゆっくり歩いて往復30分程度、

踏みしめると、きしみ実際に木の橋を渡っていることを実感します。

また高さもあり、手すりにもならない30cmほどの低い柵しかないので

高度感が増し少し怖さを感じます。

晴れていれば富士山を望みながら歩くことが出来ます。

橋の対岸は散策路となっていて、

長寿祈願の鐘や七福神像などのご利益ポイントの他、

少し登った所に蓬莱橋を望む展望台もあるので、少し歩いてみるのもお勧めです。

対岸には七福人像

七福人の由来
七福人とはそれぞれのご利益を授けてくれる七体の神(仏)のことで、七体参拝することで七難即滅、七福即生となり福徳を授ける神様です。室町時代に中国より渡来し四国より淡路島を経て日本古来の信仰とからみ合い順次全国に広がったものです。地域により別の神様と入れ替わった所もありますが、全般には恵比寿、大黒、毘沙門、弁財、福禄寿、寿老神、布袋の七神です。江戸時代に入り、徳川幕府が民生安定の方策として、天下泰平、万民富楽、を願い一般庶民の信仰として広めました。
蓬莱七福神奉賛会

谷口原周辺コース図

蓬莱吉祥天女

蓬莱吉祥天女

「蓬莱」とは神仙思想より不死の仙人が住むと云う幻の蓬莱山の略。蓬莱山・竜宮城など生命力が常住不変に存在する所。即ち不老不死の地を「常世国」と云う。「吉祥」とはめでたい証しで「寿、祝、賀、慶」の悦「天女」とは女性として現世に生を受け、倖せな一生を過ごし御霊が「天国に昇る妙代姿」

七福人の福禄寿と寿老人は、同体異名であるので、吉祥天が福禄寿に替わって入っている場合も有り又、吉祥天が加わり、八体になっている所もある。

蓬莱の島台

太古の大井川

日本列島隆起の過程の中で大井川の主流は約七千万年もの長い間に四回の大きな流路移動があり島田市鵜網から西に流れ(袋井市)、南に流れ(大東町・御前崎町)、更に南東に流れを変えて現在の流路となった。「更新世後期」(十三万年~7万年前)頃の大井川は牧の原台地を流れ川原であったが基盤隆起に依り玉石まじりの砂礫層で形成された台地となった。

・「何で山より川原石が..」と疑問に思われるが、日本列島誕生の経緯を知る事と同時に事実の照明で知る事が出来る。
・階段に積まれた石は此処より掘出した太古の大井川川原石である。
・海底隆起の基盤(シルト砂岩層)は蓬莱橋入口、洲、浜沢(地形・地獄沢)で見ることが出来る。
参考文書「嶋田宿と大井川より」

蓬莱橋 展望ポイント

展望ポイントより望む蓬莱橋

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