天宮神社(あめのみやじんじゃ) 静岡県周智郡森町




天宮神社(あめのみやじんじゃ) 静岡県周智郡森町

天宮神社公式H.P
http://www7b.biglobe.ne.jp/~amenomiyajinnjya/

八形山から蓮華寺を経て天宮神社へ


天宮神社 境内案内図


二の鳥居


御旅所


稲荷社参道・お蔵


稲荷社


三の鳥居


宝蔵庫


社務所

お札・お守り・御朱印などはこちらで

御由緒

当神社は第29代欽明天皇の頃(約1500年前)に
小碓命(日本武尊)の後裔太田の君、
守の君の氏族が先祖の遺跡を訪ねてこの地を開き、
筑紫の国宗像の御神霊を迎え大氏神
として鎮斎せられたのに始まります。
文武天皇慶雲2年勅願により社殿等の造営がなされ、
その折京都から藤原綾足が神官
として赴任し京都の楽人により舞楽が奉納されました。
以来十二段舞楽は今日まで連綿と伝承されてきています。
神社・社殿は、室町時代に焼失し、一時衰退をしましたが、
徳川家康公によって社殿が造営され、その後修営にあたって、
遠州横須賀城主の隠岐守西尾忠成公を奉行に幕府
の直参棟梁の甲良豊前宗賀によって完成したのが
現在の社殿であるといわれています。


手水舎


お祓所


拝殿


幣殿


本殿


舞殿

国指定重要無形民俗文化財
天宮神社十二段舞楽

平安末期0鎌倉初期に伝えられ、
江戸時代から 一宮大祢宜の鈴木左近家が代々舞楽師匠方として努め、
明治以降は、氏子有志が楽人兼師匠方として努めるようになりました。
現在、天宮地区の氏子青年団「 天社轂(てんしゃこく) 」・ 「天宮神社舞楽保存会」
らの手により伝えられています。
この「十二段舞楽」は、十二の舞から構成され、
国の重要無形民俗文化財に指定されています。
例大祭で、舞が奉納されます。


拝観所


ご神木

境内で神社の関係者の方にお話を伺いました。

数年前の台風で境内のかなりの数の木々が倒壊し

幣殿の一部と末社が破壊されたそうです。

その時にご神木の凪の木も二つに裂けました。

江戸時代に落雷もあったそうで、

それでもなお生い茂る生命力の強さには感動します。


天宮神社 ナギの木

ご神木 竹柏(ナギ)の木

マキ科の暖地性の常緑樹。
古来竹柏は、神聖な樹木、めでたい樹木として、日本人に愛好されています。
緑つややかな葉は守り袋や鏡の裏に入れて災難除けにされてきました。
当神社の竹柏の木は本殿の両側にあり、東側の御神木で樹高10m枝張り9m
樹齢千五百年余りといわれます。
これは創祀を記念して筑紫の国本宮から苗木を持参して植えたと伝えられ、
県の天然記念物に指定されています。

縁結びのパワースポット
当神社のナギは東側の男木、西側の女木がご神木とされています。
竹柏の二葉を合わせれば丈夫も割き難いということで
女性には、夫や恋人との縁が切れずに千年の契りが
結ばれる縁結びの樹木として信仰されています。
当神社のなぎの葉をお守としてお持ちください。
交通安全、家内安全、良縁結び、長寿・災難よけをご神木の
ひと葉に託したお守です。
H.Pより


本殿裏 末社


多賀社

多賀社

多賀神社の祭神は伊邪那岐命・伊邪那美命の二柱で、
創建は幕末の嘉永四年(1851年)十月。
天宮村の篤志家野口小兵衛(当時47歳)が、村内龍馬ケ谷の山林中に
社殿を造営し勧請されました。
野口小兵衛は、明治になって天宮学校、天宮報徳社の設立に尽力されています。
慶応四年(1868年)三月石灯籠一対を寄進、
他にも石の明神鳥居・燈籠・手洗鉢がありますが、記銘はありません。
明治三十年(1897年)11月、卯年の男性が石の神明鳥居を寄進していますが、
この男性は製糖王と言われました鈴木藤三郎であります。
野口家が東京へ転出後の祭祀は、天宮の鈴木家が委任されていましたが、
平成十三年(2001年)十月二十一日、天宮神社本殿東側に遷宮致しました。


天乃真名井

神社にはほとんど奥宮(奥の院)があります。

祭神の荒御魂をお祀りしていることが多いです。

天宮神社が鎮座する小高い丘の一番高い所に奥宮が

少し歩きますが、ぜひ奥宮もご参拝してみてください。


くちなし池

くちなしの池

本殿の裏側小道(多賀社東側)をしばらく進むと池があります。
この名前は出入口のない池のため口無しという説とともに、
水神様のお使いである蛇のことを朽ち縄と言われ、それを
くちなしというように、もじったという説がある。
巨人伝説のだいだらぼっちの足跡であるともいわれる。


奥社

奥社はくちなし池の南側小高い丘上にあります。


森の石松ゆかりの碑


御朱印

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