崇道天皇(早良親王)陵(八島陵)・奈良県奈良市八島町




崇道天皇(早良親王)陵(八島陵)・奈良県奈良市八島町

奈良県奈良市八島町、

崇道天皇(早良親王)陵・八島陵(やしまのみささぎ、やしまりょう)

祟道天皇は天皇と呼ばれているものの、実際に皇位継承をしていないため

歴代天皇には数えられていません。

崇道天皇は生前の名を「早良親王」と言い、光仁天皇の皇子として生まれました。

皇太子の時に、奈良から京都へと遷都した藤原種継の暗殺事件に加担したとされ、

無罪を証明するために淡路の地へ配流の途中絶食し、息絶えたとされる悲劇の皇子です。

皇太子の死後、疫病が起こったり不運なことが相次いだため、

その祟りを鎮めるために死後崇道天皇と追称され、

大和(当地)に改葬されたことが崇道天皇陵の由来と言われています。

崇道天皇(早良親王)

別名 親王禅師

尊号 崇道天皇

誕生 天平勝宝2年(750年)?

死没 延暦4年9月28日(785年11月8日)

在位(皇太子) 天応元年4月4日(781年5月1日)- 延暦4年(785年)9月

続柄 (父)光仁天皇(母)高野新笠

墓所 八島陵(奈良県奈良市八島町)(淡路国津名郡から大和国へ移葬)

早良親王(さわらしんのう)は、光仁天皇の皇子、母は高野新笠。桓武天皇、能登内親王の同母弟。桓武天皇の皇太子に立てられたが、藤原種継の暗殺に関与した罪により廃され、絶食して没した。崇道天皇(すどうてんのう)と追諡されたが、皇位継承をしたことはないため、歴代天皇には数えられていない。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加