上州武尊山(2157.99m)・武尊神社より
日本百名山の武尊山(ほたかやま)へ
武尊山は、群馬県利根郡みなかみ町・川場村・片品村の境にある標高2158mの山で、
北アルプスの穂高岳と区別するため、上州武尊山とも呼ばれています。
紅葉登山のつもりでしたが、寒波の影響で思わぬ雪山登山となりました。
武尊山(ほたかやま)
標高 2157.99mm | 登山日 2024年11月8日 |
日本百名山 新・花の百名山 一等三角点(武尊山) | |
所在地 群馬県利根郡川場村川場湯原 |
難易度 ★★ オススメ ★★★ | 登山口(ナビ検索) 武尊神社 |
裏見ノ滝駐車場(5:19)→武尊沢林道終点駐車場(5:43)→須原尾根分(5:53)→武尊神社下降点(6:32)→手小屋沢避難小屋分岐(6:37)→武尊山(7:53)→手小屋沢避難小屋分岐(9:10)→武尊神社下降点(9:14)→須原尾根分岐(9:44)→武尊沢林道終点駐車場(9:51)→武尊神社(10:05)→裏見ノ滝駐車場(10:11) 所要時間 4時間51分 累積標高 1112m / 1109m 距離 10.8m | |
■上越線沼田駅付近の車窓からも見える山。武尊山は前武尊(まえほたか)、剣ガ峰、家ノ串、中ノ岳、沖武尊(おきほたか)(主峰)、剣ガ峰山(西武尊)、獅子ガ鼻山と2000m級7座の峰頭を連ね、群馬県の北部、利根郡の中央を占める名山である。 これらの峰々を中心に、裾野には900~1500mの高原が広がっている。東に武尊牧場、南に玉原湿原、西に上ノ原高原、北に武尊湿原の溶岩流高原があり、火山の規模は直径十数kmに及ぶ。火山といっても100万年も前にできた古い火山で、山体の浸食が進み、放射状に刻み込まれた谷は深く数も多い。武尊九十九谷ともいわれ、ツキノワグマの生息数は群馬県内一である。 山名の由来は、日本武尊(やまとたけるのみこと)の東征の故事によるもので、古来から山麓民の信仰があつい。 平成2年(1990年)9月から、マッキンリーに逝った名アルピニスト山田昇を記念して、山田昇記念杯登山競争大会(2014年からは上州武尊山スカイビュー・ウルトラトレイル 川場村山田昇メモリアルカップに名称変更)が行われている。 山頂へは、上ノ原登山口から4時間。宝台樹キャンプ場から4時間40分。花咲口(林道駐車場)から前武尊経由で縦走して5時間30分。川場口(野営場登山口)から縦走して4時間50分。武尊高原川場キャンプ場から西峰を経て5時間30分。武尊牧場から4時間。(ヤマケイオンラインより) |

武尊神社
裏見ノ滝駐車場
住所 群馬県利根郡みなかみ町藤原
駐車台数 約30台(無料)
トイレ 有り
標高 1100m
電波 不通(手前の群馬みなかみほうだいぎキャンプ場なら電波有り)
アクセスは国道291号線を谷川岳方面へ向かい、「大穴」交差点を右折し20㎞進みます。ダムの上を通過し、2個目のトンネル(武尊トンネル)を通過してすぐ、裏見の滝方向へ右折します。そのまま道なりに走りキャンプ場内を抜けた先に裏見の滝駐車場、武尊神社があります。
なお、武尊神社より先にも駐車場がありますが、「自己責任でお願いします」という看板が出ています。道中は未舗装であるのは当然のこと、大きな石や尖った石も多く、轍も深く削られていてガッタガタの道です。落石多数、道幅も狭く、一度進入したらUターンは容易ではありません。万が一のことを考えると、無理せず裏見の滝駐車場に停めるのが安全です。
登山口の「裏見ノ滝駐車場」より、前日の寒波で積雪
林道を進むにつれ雪が深くなってきます。
登山道
避難小屋まで登ると傾斜も少し緩かに
剣ヶ峰山
山頂一帯はガスが掛かっているようです
このルートの各心部
尾根の出る前に鎖場が連続します。
鎖が凍り固まっているので、特に注意して登ります。
鎖場
尾根に出ると同時に雲の上へ、ブロッケン現象が見られました。
エビの尻尾
山頂まで緩やかな稜線を辿ります
雲海の上から至仏山と燧ヶ岳
右に剣ヶ峰、手間は周回予定だった剣ヶ峰山へと続く尾根
南の赤城山は積もっていないようです。
右端には富士山も見えています。
山頂への急登
振り返り北アルプスを一望
武尊山(2157.99m)
一等三角点(武尊山)
中ノ岳から剣ヶ峰と続く稜線
中央に皇海山、右端に日光白根山
赤城山、左のピークが黒檜山
富士山の手前の稜線は雲取山〜瑞牆山まで奥秩父の主稜線が見えています
中央に至仏山と平ヶ岳 右に燧ヶ岳、
隣の会津駒ヶ岳は雲の中 少しずつガスも取れてきました
周回ルートの予定でしたが、ピストンに変更して下山しました。
木々の間から剣ヶ峰山
雪とカラマツの紅葉
登山道分岐
紅葉の林道
すっかり雪も解け、紅葉の林道を「裏見ノ滝駐車場」へ
武尊神社にお参りして終了しました。
武尊神社
武尊山には北アルプスの穂高連峰と同じ「穂高見命(ほたかみのみこと)」が祀られており、
「保鷹山」や「穂高山」と記されていた時代がありました。
武尊山は江戸時代の寛政年間(1789~1801年)に、木曽の御嶽山や、
越後の八海山を開いた「普寛行者(ふかんぎょうじゃ)」によって開山されました。
その後、江戸八丁掘の行者たちが山岳修験道の登拝道を開き、山岳信仰の霊場となり、
1850年(嘉永3年)には前武尊に日本武尊の像が建立されました。
保宝鷹を武尊と表記するようになったのは、真田伊賀守の侍医鈴木法橋が
日本書紀の日本武尊の武徳に感じ入り、「武尊」と書いてホタカと読ませ、
1661年(寛文元年)に下沼田の社に「武尊宮」と額書したことに始まるようです。
その他に、ホタカの神は日本武尊であり、
武尊と書いてホタカと発音することになったとする説や、
日本武尊が東方征伐時に立ち寄った事から、
江戸時代に「武尊」の漢字を当てたとする説などもあります。
明治以降、山麓に点在する約30の神社の名が「武尊(ほたか)」表記となりました。
武尊神社
貞観(西暦八六五年)の頃より「保宝鷹神社」と称され、上野神社名帖には、従一位の社と被叙される。とあり、又、大日本史神社帖に「宝高神社は利根郡に在り」とあるは本社なりとある。
古くより、招福開運の神社として各地より参拝人多く、真にあらたかなる社である。