神社の種類と格式(社号 社格)まとめ
神社には「神宮」「大社」など様々な呼び名があります
普段、何気に参拝している神社の名前は
格式によって呼び名に違いがあるのはご存知でしょうか?
神社の最後につく「神社」「大社」などの称号を社号といい、
「神宮・宮・大社・大神宮・神社・社」の6種類があります。
これらの社号には意味があり、その神社の権威や歴史・御祭神などに基づいています。
また平安時代から日本全国の神社には、
社格という神社をランク分けする制度が制定されてきました。
神社の名称の前に「官弊社・二十二社」などの社格を見たことがある人も多いはずです。
最後に「稲荷神社・八幡神社・熊野神社」など、各地には特定の神社名が存在しますが、
祀られている御祭神や総本社 ご利益を詳しく知ることで、
より神社への参拝が楽しくなるはずです。
これら神社の種類と社格に関してまとめてみました。
社号
神宮(じんぐう)
神宮 (じんぐう)
格式 とても高い
皇室とゆかりの深い由緒ある神社につけられる。
神宮と呼ばれる基準としては、皇室の祖先神を祀っているかどうかです。
ただし、「神宮」とだけ言うと、伊勢神宮のことを指します。「日本書紀」には、伊勢神宮、石上神宮、出雲大神宮(後の出雲大社)が記されています。また、平安時代の「延喜式神名帳」には大神宮(伊勢神宮)、鹿島神宮、香取神宮が記されています。つまり、神社の中でもごくごく限られた、規模が大きく格式高い神社のみが、神宮として扱われていたことがみてとれます。明治以降には、その格式の高さから他の天皇や皇室の祖先神、大和平定に功績のある特定の神を祭神とする神社が神宮へと称号を改めたため、神宮の数が増えることになりました。一番新しいので終戦後に、北海道神宮と英彦山神宮が、神社本庁の許可を得て改称しています。現在では神社本庁が認可している神宮は24社あり、伊勢神宮・明治神宮・鹿島神宮・宇佐神宮などが有名です。神社本庁に属していない神宮も存在します。
また「伊勢神宮」は通称で「神宮」が正式な名称です。
もちろん「伊勢神宮」が最も有名。
その他に「明治神宮」「熱田神宮」「石上神宮」など皇室の祖先を祀る神社。
伊勢神宮は三種の神器のうち八咫鏡(やたのかがみ)を
熱田神宮は草薙神剣(くさなぎのつるぎ)をご神体とし共に天照大御神を祀る。
明治神宮などのように天皇そのものを祀る社もある。
宮(みや・ぐう)
日光東照宮(栃木県日光市) 東照宮 総本社
宮 (みや・ぐう)
格式 高い
特別の理由を認められた神社につけられます。
天皇や皇室、国に関わりのあった人物を祀っている神社です。親王と呼ばれる天皇家の男子や歴史上の重要な人物です。香椎宮には仲哀天皇が、東照宮には徳川家康が、天満宮には菅原道真がそれぞれ祀られています。
徳川家康を祀る「日光東照宮」「久能山東照宮」「鳳来山東照宮」に代表される
東照宮(とうしょうぐう)も宮に位置される。
大社 (たいしゃ)
出雲大社(島根県出雲市大社町)
大社 (たいしゃ)
格式 高い
地域信仰の中核をなす大きな神社を指す社号
元々、国譲りを行なった大国主命を祀る出雲大社のみにしか付かない称号でしたが、
明治以降は奈良の春日大社や長野の諏訪大社など全国から崇敬を集める
格式の高い神社で使われるようになりました。
規模の大きい神社です。
元々は「出雲大社」に用いられた称号
その後、春日大社・諏訪大社・熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)など
格式高い神社に用いられている。
大神宮 (だいじんぐう)
東京大神宮(東京都千代田区富士見)
大神宮 (だいじんぐう)
「大神宮」は伊勢神宮の出張機関というべき、東京大神宮の特別な社号
東京大神宮は伊勢神宮の天照大御神と豊受大神を勧請されており、伊勢神宮の出張機関ともいえます。江戸時代には、伊勢神宮への参拝は生涯かけての願いでしたが、江戸から伊勢は非常に遠く、道なりは厳しいものでした。その為、明治天皇の判断で東京大神宮が、伊勢神宮の遙拝殿としてつくられ、東のお伊勢さんと呼ばれるほど人々に親しまれました。
神社 (じんじゃ)
神社 (じんじゃ)
最も一般的な神社。
神社とは一般的な神社の社号です。全国に約8万社以上あるとされています。神社を名乗るための特別な条件や基準がないことから、多くの神社で名乗っているのです。
社 (しゃ)
社 (しゃ)
「神社」の略称。比較的小さな神社の社号。
大きな神社から御祭神を勧請した神社に用いられます。社では大きな神社から祭神を勧請されていることがほとんどです。神明社では天照大御神が、天神社では菅原道真が、八幡社では八幡神が勧請され、日本各地に非常にたくさん存在しています。人々の一番身近な神社と言っても過言ではないでしょう。
社格
昭和21年にGHQによる神道指令によって廃止に至るまで、
平安時代から日本全国の神社には、
社格という神社をランク分けする制度が制定されてきました。
制度自体は廃止されましたが、その思想は現在でも受け継がれています
国で定められた神社の格式についご説明します。
式内社
延喜式神名帳
平安時代には古代社格制度ができていました。
国の管理下にあり、国から保護され、国から奉幣(天皇の命令による供え物)を
受けるか否かで社格が決まっていました。
延喜式神名帳という書物に書かれた神社名は2861社に及び、式内社と呼ばれます。
式内社は国から重要視された神社ということで、現在でも格式高い神社とされています。
延喜式神名帳に記載されていない神社は式外社と呼ばれました。
国の管理下に置かれたすべての神社の「官社」と呼び、
さらに「官幣社・国幣社」の二種類に分けられていました。
官幣社と国幣社は基本的に官幣社のほうが格式が高く、
それぞれ大社と小社にさらに分かれています。
官幣社 (官幣大社・官幣小社)
官幣社とは神祇官が祀る神社です。神祇官とは朝廷において最高の祭祀の実力者のことをいい、国直轄で治められていた神社ともいいかえることができます。官幣社は神社で毎年行われる祭祀の内、最も重要とされる例祭が行われる際に、皇室の宮内省から幣帛というお供え物が与えられます。主に二十二社や天皇・皇族を祀る神社など、朝廷に縁のある神社がほとんどとされています。官幣社の中でも大社、中社とに分けられました。官幣大社は生国魂神社など29社、官幣中社は梅宮神社など6社です。
国幣社(国幣大社・国幣小社)
国幣社とは地方官の国司が祀る神社です。例祭の際、国庫から幣帛が供進される点も官幣社と異なります。主に各国(旧国)の一宮や、地方の有力神社が中心となっています。国幣神社は中社と小社に分けられました。国幣中社は梅宮神社など6社、国幣小社は敢国神社など45社とされています。
二十二社
二十二社とは古代社格制度の社格の一つで、
国家の重大事や天変地異などの際に、朝廷から特別な奉幣を受けた神社をさします。
つまり、干ばつや大雨などの際に、国家から祈願を乞われた神社で、
非常に国から重要視されていました。
都を守る神社であり、伊勢神宮以外はすべて関西の神社であることも特徴です。
二十二社はもともと十六社でしたが、
その後徐々に増やされ最終的に二十二社となりました。
二十二社は、上七社・中七社・下八社と3つのランクに分類されています。
上七社
伊勢神宮・石清水八幡宮・賀茂神社(賀茂御祖神社 賀茂別雷神社)・松尾大社・平野神社・伏見稲荷大社・春日大社
中七社
大原野神社・大神神社・石上神社・大和神社・廣瀬大社・龍田大社・住吉大社
下八社
日吉大社・梅宮大社・吉田神社・廣田神社・八坂神社・北野天満宮・丹生川上神社・貴船神社
近代社格制度
明治神宮(東京都渋谷区)
「近代社格制度」は、明治4年5月14日に
「官社以下定額・神官職制等規則」によって制定されました。
これは、「延喜式」に倣い明治政府が改めて神社の格を再定義した社格制度です。
「近代社格制度」では、国内すべての神社が、
大きく分けて官社・諸社・無格社に分類されました。
ただし、伊勢神宮だけは「全ての神社の上にあり、社格のない特別な存在」とされて、
社格制度の外に置かれています。
官社
官社とは、祭の際、国から奉幣を受ける神社のことです。官社はさらに神祇官が祀る官幣社と地方官が祀る国幣社にわけられます。
諸社
諸社はさらに府県社、郷社、村社に分類されます。その違いは、どこから奉幣を受けたかです。府県社は府や県から、郷社は郡や市から、村社は市町村から奉幣を受けました。
無格社
無格社とは、この時代で国に認められた神社の中で、村社にも当たらない神社を指します。他の神社が国や府県などから奉幣を受けていたのに対し、無格社はどこからも奉幣はありませんでした。そのため、官社、諸社と区別するために社格の無い神社、つまり無格社と呼ばれていたものが、そのまま社格の種類の一つとなっていたのです。
「近代社格制度」は、昭和21年2月2日に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の
神道指令により廃止されましたが、現在でも神社の格を表す目安として
思想は受け継がれています。
その他 神社の種類
一宮
一宮 (いちのみや)
地域を代表する大きな神社のこと。
令制国(昔の地域区分)地域の中で最も神威が高い神社。
基本的には1国あたり1社を建前にした。
また、一の宮、二の宮、三の宮とは、国司が順拝する順です。
稲荷社
稲荷社 (いなりしゃ)
宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)をお祀りしている神社です。
稲荷神を祭神として祀る神社を稲荷神社と呼び、全国各地に存在します。
全国で神社数は稲荷神社が最多と言われているようです。総本社は京都の伏見稲荷大社で、稲の信仰(穀物・農業・商売繁盛・殖産興業)の神として信仰されていて、商店内、企業のビルの屋上、工場の敷地内などにも祀られています。
稲荷は、イネナリ(稲成)という意味で、稲は一粒の米からたくさんの実がなることから、商売繁盛・産業隆盛の神様としても信仰されたと言われているようです。
稲荷社と狐についてだが、稲荷神は元々は農業神であるが、狐は穀物を食い荒らすネズミを捕食すること、狐の色や尻尾の形が実った稲穂に似ていることから、狐が稲荷神の使いに位置付けられた。
(全国 約19800社)
八幡社
宇佐神宮(大分県宇佐市)八幡社 総本社
八幡社 (はちまんしゃ)
八幡神を祭神として祀る神社を八幡神社(八幡社、八幡宮)と呼び、
全国各地に存在します。大分県の宇佐の氏神から始まり(総本社は宇佐神宮)、
平安京の守り神として石清水八幡宮が創建されました。鎌倉時代に源頼朝が鶴岡八幡宮を創建し、武運、鎮守の神として全国に広まりました。
祭神である八幡神は応神天皇を神格化したもので、農耕神あるいは海の神とされています。応神天皇・神功皇后をお祀りしています。鶴岡八幡宮や岩清水八幡宮が有名。
(全国 約14800社)
神明社
神明社 (しんめい)
神明社は、伊勢神宮を総本社とし、天照大神を主祭神として祀る神社のことです。
神明(しんめい)神社、皇大(こうたい)神社、天祖(てんそ)神社などともいい、通称として「お伊勢さん」と呼ばれます。伊勢信仰は伊勢の神宮に対する主として庶民の信仰をいい、
元は祭神の天照大神が皇室の祖神とされているため、
農耕儀礼と密接に結びつき広く信仰を集めてきました。
(全国 神明神社 約5400社)
天満宮 天神社
太宰府天満宮(福岡県太宰府市宰府) 天満宮 総本社
天満宮(てんまんぐう)・天神社(てんじんしゃ)
天満・天神とは天満大自在天神の略称です。
天満宮は、平安時代の学者である菅原道真を祭神とする神社で、
政治的不遇を被った道真の怒りを静めるために神格化し祀られるようになりました。
天神とも呼ばれています。
道真が優れた学者であったことから天神は「学問の神様」や「受験の神様」信仰されています。
大宰府天満宮や北野天満宮が有名です。
(全国 約10300社)
浅間神社
浅間神社 (せんげんじんじゃ)
浅間神社(あさまじんじゃ、せんげんじんじゃ)は、「浅間」を社名とする神社。主に富士山に対する信仰(富士信仰/浅間信仰)の神社である。
富士信仰に基づいて富士山を神格化した浅間大神(浅間神)、または浅間神を記紀神話に現れる木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやびめのみこと)と見てこれを祀る神社である。
全国に約1,300社の浅間信仰の神社がある。これらの神社は、富士山麓をはじめとしてその山容が眺められる地に多く所在する。その中でも特に、富士山南麓の静岡県富士宮市に鎮座する富士山本宮浅間大社が総本宮とされている。
祭祀の特徴として、主要な浅間神社は山中に祀られた山宮と麓の集落に鎮座する里宮が対をなして祀られることが挙げられる。これは、山宮が富士山を遥拝する場所、里宮は湧水池・湖沼周辺で鎮火を祈る場所であると解されている。また、関東地方を主として多くの神社の境内には富士塚が築かれ、氏子らで富士講が形成された。
(全国 約1300社)
諏訪神社
諏訪大社 上社 本宮 (長野県諏訪市中洲宮山) 諏訪神社 総本社
諏訪神社 (すわじんじゃ)
諏訪神社は、長野県の諏訪湖の両岸にある諏訪大社より祭神の勧請を受けた神社です。
諏訪大明神ともいわれる諏訪大社より祭神の勧請を受けた神社とその妃である
八坂刀売神(やさかとめのみこと)をおまつりしています。諏訪信仰は雨や風を司る竜神の信仰や、水や風に直接関係のある農業の守護神としての信仰が著名です。
また水の信仰が海の守り神としても信仰されています。
(全国 約5700社)
熊野神社
熊野神社 (くまのじんじゃ)
熊野神社は、熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)より
熊野権現の勧請を受けた神社で、同名または熊野社など類似の社名の神社が全国各地にあります。
(全国 約3300社)
春日神社
春日神社 (かすがじんじゃ)
春日神社は春日大社から勧請を受けた神社で、全国各地にあります。
祭神は春日神で、天児屋根命(あめのこやねのみこと)・武甕槌命(タケミカヅチオ)経津主命(ふつぬしのかみ)・比売神(ひめのかみ)の四柱の神が本体となっていて、奈良・平城京に遷都された710年(和銅3年)藤原不比等が藤原氏の氏神である鹿島神(武甕槌命)を春日の御蓋山に遷して祀り、春日神と称したのに始まります。
(全国 約3100社)
八坂神社
八坂神社(京都府京都市東山区祇園町) 八坂神社 総本社
八坂神社 (やさかじんじや)
八坂神社は、素戔嗚尊命(すさのおのみこと)を祭神とする全国各地にある神社の名称です。
総本社は京都の八坂神社で、通称祇園さんとも呼ばれます。
平安時代の始め頃に都で流行した疫病による大災厄の発生を
政治的に失脚して処刑された人の怨みによる崇りであろうと当時の人々は考え、最初はその御霊を祭りましたが、怒りは治まらなかったため、
より強い神仏が求められたことが、日本神話でヤマタノオロチ(八岐大蛇=あらゆる災厄)を退治し、クシイナダヒメノミコトを救って、地上に幸いをもたらしたとされる素戔嗚尊命を祭った起源とされています。
これにより、災厄を鎮める神様として知られているようです。
(全国 約2900社)
白山神社
白山比咩神社(石川県白山市三宮町)白山神社 総本社
白山神社 (しらやまじんじゃ・はくさんじんじゃ)
白山神社は、富士山、立山とともに三霊山と呼ばれる白山の神を祀る神社で、
石川県白山市の白山比咩神社を総本社としています。祭神は菊理媛神(くくりひめのかみ)(白山比咩神)・伊弉諾尊(イザナギ)・伊弉冉尊(イザナミ)の三柱としているものが多くあります。
白山神社は全国各地にありますが、特に岐阜県・石川県・新潟県・静岡県に多く分布しています。
(全国 約2700社)
秋葉神社
秋葉神社 (あきはじんじゃ)
秋葉神社(あきはじんじゃ、あきばじんじゃ)は、日本全国に点在する神社である。神社本庁傘下だけで約400社、歴史地理学者・米家泰作による2017年の調査では1,129社を数える。神社以外にも秋葉山として祠や寺院の中で祀られている場合もあるが、殆どの祭神は神仏習合の火防(ひよけ)・火伏せの神として広く信仰された秋葉大権現(秋葉三尺坊大権現)である。一般に秋葉大権現信仰は徳川綱吉の治世以降に全国に広まったとされているが、実際には各地の古くからの神仏信仰や火災・火除けに関する伝説と同化してしまうことが多く、その起源が定かであるものは少ない。祠の場合は火伏せの神でもあるため、燃えにくい石造りの祠などが見かけられる。小さな祠であることが多く、一つの町内に何箇所も設置されている場合もある。
(全国 約1129社)
愛宕神社
愛宕神社 (あたごじんじゃ)
愛宕神社(あたごじんじゃ)は、京都府京都市右京区にある神社。旧称は阿多古神社。旧社格は府社で、現在は別表神社。全国に約900社ある愛宕神社の総本社である。現在は「愛宕さん」とも呼ばれる。
山城・丹波国境の愛宕山(標高924m)山頂に鎮座する。古くより比叡山と共に信仰を集め、神仏習合時代は愛宕権現を祀る白雲寺として知られた。火伏せ・防火に霊験のある神社として知られ、「火迺要慎(ひのようじん)」と書かれた愛宕神社の火伏札は京都の多くの家庭の台所や飲食店の厨房や会社の茶室などに貼られている。また、「愛宕の三つ参り」として、3歳までに参拝すると一生火事に遭わないと言われる。上方落語には、「愛宕山」「いらちの愛宕詣り」という噺が存在する。
(全国 約900社)
住吉神社
住吉大社(大阪府大阪市住吉区) 住吉神社 総本社
住吉神社 (すみよしじんじゃ)
住吉神社は住吉三神を祀る神社で、
祭神の住吉三神は底筒男命(そこつつのおのみこと)・中筒男命(なかつつのおのみこと)表筒男命(うわつつのおのみこと)の総称です。
海の神、航海の神とされています。
(全国 約2100社)
日吉神社
日吉神社・山王神社(ひよしじんじゃ・さんのうじんじゃ)
日吉神社・日枝神社あるいは山王神社などという社名の神社は山王信仰に基づいて日吉大社より勧請を受けた神社で、大山咋神(おおやまくいのかみ)と大物主神(または大国主神)を祭神とします。
「山王」とは、霊山を守護する神霊のことで、ここでは比叡山の地主神である大山咋神のことを指します。
また、平安京遷都により、当社が京の鬼門に当たることから、
鬼門除け・災難除けの社として崇敬されるようになりました。
(全国 約2000社)
金毘羅神社
金比羅神社 総本宮(香川県仲多度郡琴平町)
金毘羅神社 (こんぴらじんじゃ)
金毘羅神社(こんぴらじんじゃ)は、香川県琴平町の金刀比羅宮を総本社とし、祭神として大物主神を祀る神社で、全国各地に存在します。
金刀比羅宮は、元はその鎮座する象頭山の神を祀るものであった。
古くから象頭山は瀬戸内海の航行の目印とされてきたことから、
象頭山の神は航海安全の神として信仰されるようになった。
また、航海安全だけでなく、祈雨の神として農民からも信仰されてきました。
(全国 約1900社)
恵比寿神社
西宮神社(兵庫県西宮市)恵比寿神社 総本社
恵比寿神社 (えびすじんじゃ)
蛭子神社(えびすじんじゃ、ひるこじんじゃ)はヒルコ或いはえびす
或いは事代主命(ことしろぬしのみこと)を祭神とする神社です。「恵比寿神」とは元々、海の神で、海岸に流れ着いた見慣れないものを 「えびす」と呼んで、それを海に神からの贈り物としてまつる習慣から起こったものです。
ここから、豊漁、ひいては商売繁盛の神として現在に至ります。
祭神がイザナギとイザナミの間の子であるヒルコや大国主命の子である
事代主命であるのは日本神話が成立する過程で恵比寿神と結び付けられるようになった。
(全国 約1500社)
東照宮
東照宮 (とうしょうぐう)
東照宮(とうしょうぐう)とは、東照大権現たる徳川家康を祀る神社である。
駿府城で死去した家康の柩は久能山に運ばれ、遺言に従って江戸幕府は久能山に東照社を創建。これに伴い、朝廷は神社としての東照社に「東照大権現」の神号を宣下するとともに正一位を贈位、さらに、神格化された家康本人に対しても正一位を贈位している。幕府は日光にも建設を進め、家康死去から1周忌に遷座祭を挙行し、2つの東照大権現が並立した。その後も各地の徳川・松平一門大名家、また3代将軍徳川家光による諸大名への造営の進言もあって譜代大名や徳川家と縁戚関係がある外様大名家も競って建立し、全国で500社を超える東照宮が造られた。明治維新以後の廃仏毀釈と相まって廃社や合祀が相次ぎ、現存するのは約130社とされる。これらの東照宮のうち本宮である日光東照宮、御遺体を祀る久能山東照宮に、自社を加えて「日本三大東照宮」とする東照宮は多いが、規模・華麗さで劣る南禅寺塔頭金地院東照宮が幕府の正史に遺言が残り家康の遺髪及び持念佛を祀っている。
(全国 約130社)