油山(116m) 油山寺・静岡県袋井市
油山寺 / Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/油山寺
静岡県袋井市にある油山寺へ寄りました。
正式には「医王山薬王院 油山寺」
行基大徳開祖 真言宗智山派の寺院です
可睡斎・法多山尊永寺 とならび遠州三山の一つ
孝謙天皇の眼病を治したことから「目の仏様」、
守護神である軍善坊大権現は、
足腰の病に霊験あらたかであるところから「足の神様」として名高いです
山中には様々な行場 遺構があり
薬師本堂の奥には油山の山頂があるとのことなので改めて参拝しました。
山 門
山 門
国指定重要文化財
山内の入り口に構える山門は、元は掛川城の大手門でした。
万治2年(1659)に井伊直好(なおよし)公によって建てられ、
明治6年(1873)廃城令の際に城主であった太田備中守が眼病平癒のお礼として、
当山に寄進し移築されました。
一層の屋根が表裏にある二層片潜付城門は、
全国的にも珍しい造りであるといわれています。
屋根の最上部を飾る鯱鉾(しゃちほこ)は江戸時代初期の名作といわれ、
国の重要文化財に指定されています。
鯱鉾は現在、方丈にて見ることができます。
昭和46年(1971)、山門の復元修理を行いました。
御霊杉
御霊杉(みたますぎ)
県指定天然記念物
山門手前の東側にある御霊杉は幹が松、
枝葉が杉という珍しい木で、弘法大師ゆかりの伝説が残っています。<弘法大師ゆかりの伝説>
お大師様が当山に滞在されていた際、貧しい村民の子供が病に苦しんでいました。
お大師様が法力により子供を助けたところ、両親はお礼に夫が松の木、
妻が杉の木で作った一膳の箸をお大師様に捧げたそうです。
お大師様が当山を旅立つ際、その箸を地に挿したところ、
不思議と箸から芽が出て、幹が松の木、
枝葉が杉の木という珍しい霊木になったと伝えられています。
参道
礼拝門
礼拝門
本坊の入り口に構える礼拝門は、
元は静岡県浜松市北部の三方原を開拓した
気賀林(きがりん)氏宅の正門でした。
子孫の気賀祥太郎氏から寄進され、
ご信徒のご協力により当山に移築されました。
その後修理を行い、美しい姿で現在も参拝者を迎えています。
屋根の大棟を飾る双龍と十六大菩薩は、
陶芸家の大橋貞華(ていか)先生の傑作と呼ばれています。
六角堂
六角堂
礼拝門をくぐると、西側に六角堂があります。
日本の書道界で活躍されていた佐藤祐豪先生と
靄子(あいこ)ご夫妻から当山へ寄進されました。
六角堂は宮大工の河原崎八栄氏が建立。
日本美術展覧会の理事を務めた佐藤助雄(すけお)先生が、
十一面観世音菩薩を制作しました。
宝生殿
宝生殿
宝生殿におまつりしている不動明王は、
天台の祖師である智証大師(ちしょうだいし)の作といわれています。
平成25年(2013)に殿を新たに建築し、
四天王・十三仏戒壇めぐりを体験いただける回廊を新設しました。
ほのかな灯りの中で、仏様と向き合ってみてはいかがでしょうか。
その他、格天井(ごうてんじょう)に描かれた
日本画の名匠と呼ばれる中村華厓(かがい)先生の傑作「四季花鳥」など、
寺宝を見ることができます。
方 丈
方 丈
県指定重要文化財
宝生殿の東側にある方丈は、遠州浅羽の代官であった
仁科宇兵衛(にしなうへい)によって
宝暦14年(1764)に建立されたものです。
その後当山に移築され、
ご信徒の休憩や法話の会場として使用しています。
書 院
書 院
県指定重要文化財
宝生殿の西側にある書院は、元は遠州の横須賀城内に立っていました。
元禄12年(1699)に建立され、安政6年(1859)に藩主の西尾隠岐守より
当山に寄進されました。
時が経ち、各所の破損が著しいことから昭和54年(1979)に
文化庁の指導の下、創建当初の姿へと復元修理を行いました。
天井や床の間横の脇床、違棚の筆返しなど、随所の技巧がとても優美です。
驥山門(きざんもん)
近代の書道界の第一人者といわれる川村驥山先生の書
「遺教経」(ゆいきょうぎょう)を刻んだ石柱門。
遺教経はお釈迦様がご入滅される際、
自身の入滅後に弟子たちが迷わぬように、
修行者にとって大切なことを説いた最後の説法です。
この教えが現代社会に広く伝わり、
未来に引き継がれることを願い建立されました。
医王山油山寺境内案内図
あまり参拝客が訪れない大師山 四国八十八ヶ所巡り
天狗谷から仏像が立ち並ぶ参道
最後に弘法大師像
みやま台には十三重の塔
滝堂
るりの滝
るりの滝
清々しい空気に満ちた、るりの滝。
孝謙天皇が病の折、当山にて祈願を行い、
この滝の水で御眼を洗ったところ病が完治したと伝えられています。
滝の名前は、当山の本尊である薬師如来のお住まいである「瑠璃光浄土」が由来です。
祠には、波切不動明王をおまつりしています。
流れ落ちる水の音が参拝者を癒します。
三重塔
三重塔
国指定重要文化財
建久元年(1190)に源頼朝公から眼病平癒のお礼として建立されました。
その後、頼朝の寵臣であった工藤祐経(すけつね)が薬師堂と同じく、
普請奉行に当たったと伝えられています。
一説によると、戦国時代の兵火にさらされ、
安土桃山時代から江戸時代前期にかけて再建したといわれています。
豪壮な木割や強大な相輪、屋根の美しい反り、
屋根を支える複雑な枡組(ますぐみ)など、
桃山時代の特徴をよく表しており、
滋賀県の長命寺と京都府の宝積寺(ほうしゃじ)の三重塔と共に
「安土桃山期の三名塔」の一つに数えられています。
塔の高さはおよそ23メートル、上層は禅宗様式と大仏様式を用い、
中下層は和様式で作られています。
上層にいくほど塔身が細くなるよう設計されており、
安定感のある美しい塔です。
中には弘法大師の作である金剛界大日如来を安置しています。
全解体修理を昭和42年(1967)に行い、昭和44年(1969)に復元が完了しました。
鐘楼
薬師本堂
県指定重要文化財
本堂には本尊の薬師如来と当山の守護神である
軍善坊大権現(ぐんぜんぼうだいごんげん)をおまつりしています。
建久元年(1190)に源頼朝公から眼病平癒のお礼として
三重塔と共に寄進され、寵臣の工藤祐経(すけつね)が
普請奉行に当たったといわれています。
その後、元文3年(1738)に八代将軍の徳川吉宗公が、
病気平癒のお礼に本堂の再建を行ったと伝えられています。
江戸時代中期の貴重な建築物として県の重要文化財に指定された後、
昭和46年(1971)に文化庁の指導の下、修理を行いました。
本堂内薬師如来厨子
本堂内薬師如来厨子
国指定重要文化財
菊の御紋が輝く金色の宮殿厨子。
今川義元公より寄進され、中には秘仏である本尊の薬師如来が安置されています。
室町時代の名作といわれ、梁の上を飾る山形の優美な
蛙股(かえるまた)が特徴的です。
天正年間(1572〜1592)に扉の金具などの修理を行った記録が残っており、
それより以前に建立されたことがわかっています。
昭和42年(1967)に文化庁の指導の下、全解体と復元を行い
建立当初の美しい姿を取り戻しました。
山頂の薬師本堂内で見ることができます。
薬師本堂の真裏に油山山頂へと続く道
道なりに進むと小高い尾根に
コンクリートの建物の下に三角点があります。
油山(115.6m)山頂・二等三角点
天狗谷
天狗谷
当山に広がる自然林は、一万年前の姿をとどめた大変貴重な森林です。
谷川のせせらぎや野鳥の声が聞こえる山内は、
鳥獣保護区に指定されリスやムササビ、三光鳥など多くの鳥獣が共存しています。
静けさに心を休ませ、ゆっくりとお過ごしください。
栄西禅師像
中国から日本にお茶を伝えたという栄西禅師。
禅師の功績をたたえると共に静岡県の名産である茶業の繁栄を祈り、
昭和25年(1950)に立像が建立されました。
台座からの高さは約10メートル、国内の禅師像の中で最大級の大きさです。
右手にお茶の製法と効能などを記した
「喫茶養生記」(きっさようじょうき)を持ち、
左手にお茶の種を持っています。
5月と11月には禅師の功績を広く伝えるお茶まつりが開催されています。