筏問屋 田代家・浜松市天竜区二俣町鹿島




筏問屋 田代家・浜松市天竜区二俣町鹿島

二俣城 – Wikipedia

静岡県天竜区二俣にある筏問屋 田代家 は江戸時代に、

北鹿嶋村の名主を務めると共に天竜川筏問屋を営んだ旧家です。

徳川家康の遠州経略に協力した功により天竜川筏下しの特権を得ました。

2015年には国の登録有形文化財に登録されています。

筏問屋 田代家

田代家は鹿島五カ村(北鹿島村、西鹿島村、瀬崎村、佐崎野村、川口村)の草分けで、江戸時代には北鹿島村の名主と渡船場船越頭を勤める一方、天竜川筏の受け継ぎ問屋も経営していた旧家です。

また、幕府が天龍川を上下する舟や筏の貨物に10分の1の課税を課した役所(鹿島拾分一番所)の役人や請負人になったこともあり、現在でも多くの古文書が残っています。

家伝によると、同家の先祖は、椎ヶ脇大明神(椎ヶ脇神社)の神主田代冠者助綱なる人物といい、後代が絶えたので、室町時代末の永正年間頃(1504年~1521年)、当時二俣城主だった松井信薫の家臣大角九郎左衛門(紀州熊野の出)の子が跡を継いで以後「大角」を称するようになったとも云われています。

天正8年(1580年)2代目九郎左衛門の子の孫丞(まごのじょう)(孫尉)の時、徳川家康の遠州経略に協力したという功績により、天龍川の筏川下げと諸役免除の特権を与えられたことを機に天龍川の筏問屋経営が始まりました。
江戸中期以降は、当主は代々嘉平治(次)を襲名するようになり、10代の嘉平治は学問に優れ、初代の二俣町長(明治22年)に選ばれ、11代の田代英作は二代二俣町長に就任するなど地元の盟主としても活躍しました。

母屋は安政6年(1859年)の再建で、武家の家を思わせる冠木門や庭園・式台を備えるなど田代家の栄えた往時を偲ぶことが出来ます。

冠木門

冠木を渡した、屋根のない門で番所としての意味合いから置かれた。

田代家住宅(筏問屋 田代家)

浜松市天竜区二俣町鹿島489

TEL:053-925-7006

開館時間:午前10時~午後4時
開館日:土・日曜日・祝日(12月28日~1月4日を除く)

※12~2月は日曜日・祝日のみ
入館料:無料

浜松市天竜区二俣町にある「二俣城跡」と「鳥羽山城跡」を歩いてきました。天竜川がU字に蛇行する独立丘陵上、隣同士に建てられた山城です。 2017年には「二俣城跡及び鳥羽山城跡」として国指定史跡に登録されたそうです二俣城から天竜川沿いを鳥羽山公園まで、筏問屋 田代家を経由しました。

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