細江神社(ほそえじんじゃ) おんな城主 直虎 ゆかりの地




細江神社(ほそえじんじゃ)

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細江神社 | 静岡県神社庁H.P
http://shizuoka-jinjacho.or.jp/shokai/jinja.php?id=4415043

静岡県浜松市細江町にある細江神社(ほそえじんじゃ)です。

気賀小学校隣り、国道362号線 通称「姫街道」添いにあります。

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大木が多い参道です。

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参道の市神社

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参道の夫婦楠

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手水舎

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お百度石

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二の鳥居

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細江神社案内板

細江神社
細江神社社叢・楠
昭和49年5月1日指定

明応7年(1498)の大地震による大津波で浜名湖の湖口を守る神として、
荒井(新居)の里に祭られていた、角避比古神社の御神体の素盞嗚尊が、
気賀上村の赤池の地に漂着したといわれる。

人々は初め赤池の北90m程のところに仮屋を建て祭っていたが、
永正7年(1510)この地に社殿を建てて祀った。
社叢には、この時以来数百年の年輪を重ねた、根回り18mもある楠が林立し、
歴史の変遷を静かに見守っている。
また天台烏薬、亜熱帯性植物など多数の珍種植物が群生している。
昭和63年3月20日 細江町教育委員会

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拝殿・本殿

細江神社

一、 御祭神  素盞嗚尊 奇稲田姫尊
一、 例祭日  7月第三土曜日
一、 御神徳
清く、正しく、睦まじく、強く、すべてのものを生かし伸ばし育てる。
これが神様の御教えであります。
人間の罪穢れや、悲しみ、喜び、そして生死といった、 自然界、
人間界のさけがたい運命を一身に負いながら、それを良い方向に導くために苦労された神様です。
悩める人、苦しめる人は胸中を知り、その人々に起る災厄、疫病を除くに喜んで
救の手を差しのべられる神様です。
そして人々の罪を償われようとする御神徳により、疫病除けは勿論、豊作、大漁、招福、開運、
万民守護、縁結びの神様として信仰されています。
一、 地震災難消除
御由緒の中に書いてありますように、当社は明応7年の 大地震により
御神璽が一番安全な所として、この気賀の里に着御し、
地元の人々が地震にも負けない尊い神様だと創立した神社です。
いつ発生するかわからない災難を最小限でありますよう に、又最小限ですむように祈祷する神社です。

由緒

細江神社は古くは牛頭天王社と申し、今日なお一般に気賀の
お天王さまと尊称されております。
社伝によれば、名神大社角避比古神社、元国幣中社、は浜名郡新居町に御鎮座、
第55代文徳天皇嘉祥3年8月( 850年) 官社に列せられた立派な神社で、
浜名湖入口の守護神として氏子の方々に厚く信仰されておりましたが、
第103代後土御門天皇、明応7年(1498年)8月25日、大地震、
大海がおこり、社殿、建造物がことごとく流没し、御神璽が当地赤池の里に着御、
里の人々が尊んで御仮宮を建てて、年年お祭りをしておりましたが、
永正7年(1510年)新しく社殿を現今の所に建てて奉遷し、牛頭天王社と称え、
気賀の郷の総氏神様としてお祀りをして来ました。
明治元年9月社名を細江神社と改め、明治6年3月郷社に列せられましたが
戦後この制度は廃止となりました。
赤池の里は当社より約300メートル東南にあり、例祭当日、
御神輿の神幸祭を盛大に執行致して居ります。
全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年

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社務所

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藺草神社(いぐさじんじゃ)

藺草神社
御祭神( 気賀領主) 近藤縫殿助用随公
例祭日、7月14日

浜名湖及び引佐細江の土地は応永、明応、宝永の4度にわたる大震災の為に陥没し、
今切口に於て太平洋と直結し淡水湖が塩水とかわり肥沃田が塩田となり
悲惨の極に おちいりました。
時の領主近藤用随公(御祭神)はこの災害復旧に全力を傾注した のですが、
一旦浸透した塩分の為、稲作等の作物が成育しませんでしたが、
琉球藺 草なら塩田にも成育する由を聞いて九州豊後国(現大分県)の領主
松平公より藩外 移出禁止の藺草の苗を特に頒けて戴き、
自から庭内に試植研究せられ自信を得て后 普く領民に頒ち
産業として奨励されたのであります。
生業を与えられた領民等は意気大いに揚がり200年の長い間生産努力精励した結果、
之を原料とした畳表がこの気賀の特産として
全国に遠州表の声価を伝へ広めたのであります。
御祭神用随公没後領民一同御祭神の大徳を偲びこの大恩に報ゆる為、
産業の神として、 又禍を転じて福となす( 転禍為福) 神として此の細江神社の境内に
神社を建て藺草神 社と称え奉斎す。
御祭神の御法名を活民院殿( 民を活かす) と申し上げるも正に以上 の事由と拝察致します。
-『平成祭データ』-

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藺草神社 案内板

藺草神社

宝永四年(一七〇七年)の十月、遠州地方で 大地震があり、押し寄せた高潮のため、
浜名湖 沿岸の田には塩が入り、稲は全滅の状態でした。
困り果てた村の庄屋達は、当時の気賀の領主 近藤縫殿助用隨公に、その苦境を訴えました。
領民のためを思う名君であった用隨公は、今 後の稲作の事を、領民と共に思い悩みました。
それからしばらくして、用隨公は、大阪での 会議で隣り合わせた豊後の国(現在の大分県)
の領主松平市正に、領内の窮状を相談したとこ ろ、市正は、「ほう、それはお困りじゃな。
で は、余の領内の豊後の藺草を植えたらどうじゃ。
これは、塩に強いということでな」と言い、国 元から琉球藺の苗を取り寄せてくれました。
大いに喜んだ用隨公はこれを持ち帰り、領内の 田に植えさせました。
これが、浜名湖岸一帯 の名産物、琉球藺の始ま りです。
その後、琉球藺 は周辺の各村に広まり藺 草を使った畳表の製織は、
冬の農家の副業として、 この地方を潤しました。
この藺草神社は、藺草 をこの地方に初めて広め てくれた
用隨公の徳をた たえて造られたものです。
-境内案内板より-

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御神木 大楠

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「むかし話」 大蛇と大蝙蝠の戦い

むかしむかしの話しですが
このクスノキの大穴の中で大蛇と 大蝙蝠が「このクスノキの主はおれだ…」と
たがいに言いはりま した。
そのために大蛇と大蝙蝠はしだいになかがわるくなり
ついにおおげんかとなってしまいました。
大蛇は長い体で大蝙蝠をぐるぐると強く巻つけ、大蝙蝠も負け てはいません。
するどいキバで大蛇のからだに食いつき…
この戦いは三日三晩もつづいたと言はれています。
大蛇も大蝙蝠も血だらけになり、ついに力がつきはててしまい ました。
クスノキの空洞の中には、そのときに流したと思われる 血のあとがあります。
-境内案内板より-

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拝殿のすぐ前にも立派な御神木がある。

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拝殿

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八柱神社 鳥居

八柱神社には八名の神様が祀られている

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八柱神社

素盞嗚尊の御子八柱を祀った八柱神社には、

居森殿(素盞嗚尊の幸魂)と弥五郎殿(大己貴命・武内宿禰命)が合殿。

その左に三つ並んだ祠。

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四所神社 鳥居

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四所神社

稲持大神、八幡大神、秋葉大神、東照大神が祀られている。

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天王稲荷神社・細江天満宮 鳥居

細江天満宮には学問の神(菅原道真公)を祀ってある。

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天王稲荷神社

稲の豊作を守護、商売繁盛の神様 倉稻魂命を祀る

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八幡神社 鳥居

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八幡神社

八幡神社には第十五代天皇 応神天皇と玉依姫命が祀られている。

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八幡神社 隣の石碑

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西側 鳥居

西側鳥居からは浜松市姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館

本山方広寺から下賜された山門で有名な東林寺がある。

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東側 鳥居

東側鳥居から出て少し登った所には「細江公園」

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御朱印

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