神倉神社(かみくらじんじゃ)
熊野速玉大社H.P
http://kumanohayatama.jp
和歌山県新宮市にある神倉神社(かみくらじんじゃ)へ参拝しました。
神倉神社は、熊野速玉大社の摂社です。
いうならば熊野速玉大社が新宮なら神倉神社は元宮
熊野速玉大社から徒歩15分程度の所にある。
神倉山(かんのくらやま、かみくらさん、標高120メートル)に鎮座し、
境内外縁はただちに断崖絶壁になっている
祭神
天照大神 、高倉下命
住所
和歌山県新宮市神倉1丁目13-8
JR新宮駅から徒歩15分
橋を渡ってすぐ、猿田彦神社・神倉三宝荒神社が見えます。
猿田彦(サルタヒコ)は、高天原から地上に降る天孫瓊々杵尊(ニニギノミコト)を
降臨地・日向高千穂まで導いた国津神。
三宝荒神社については、看板の由緒に
「三宝荒神社(火産霊神・誉田別命)は立里(高野山)にあり、
願望成就、商売繁盛の御神徳が高い」とありました。
横には小さな滝が流れる
さらに奥には社務所らしき建物
帰り際、ここで雨宿りをしていた時に話したおじいさんの話だと
御朱印やお札等は熊野速玉大社で頂けるそう。
その他、貴重なお話を沢山聞くことが出来た。
史跡 熊野三山(権現山)
市内西方に聳える権現山(神倉山)は、神が降臨する神体山として崇められてきました。
主峰は千穂ヶ峰(253m)で「鎮護ヶ峰」とも記されたように神仏が鎮まり守護してくれる山です。
古くから熊野速玉大社の神降臨の神域として重要でした。権現山の南、高さ100m近い断崖絶壁には神倉神社があり 「天磐盾」とみなされてきました。
また、ここには神が鎮座する磐座があり「ゴトビキ岩」と呼ばれています。
古来から霊域として、また修験者の行場として栄えてきたことがわかります。
熊野速玉大社の手水舎の龍は鼻の長い中国の水龍だったが
こちらは普通の龍
源頼朝寄進と伝えられる、急勾配の鎌倉積み石段は538段
一段一段の段差が高く角張ったワイルドな印象の石段
小雨の中、慎重に登って行きます。
途中、外国人の参拝客と話し振り返ると
その急勾配に足がすくみます。
途中まで登った所に、火神社・地蔵堂
またここには「女坂」の案内板もどこから登るのでしょうか?
この石段は、源平合戦における熊野の功労を賞して、
建久4年(1193年)に源頼朝が寄進したものと伝えられています。
しかしこの鎌倉積みの石段
周りの自然溶け込んだような本当に素晴らしい石段です。
少しずつ勾配も緩やかになり登り詰めた所に
二の鳥居が、横にも境内社がありましたが由緒は解りませんでした。
鳥居をくぐった所に手水舎
素朴ながらも一枚岩の重厚な作り
江戸時代初期、寛永8年(1631年)水野重良、寄進とあります。
木の枝が邪魔をして上手く撮れませんでした。
この辺の岩、全てが一枚岩だそう
最後に急な石段
「お年寄りや子供は階段下で参拝」の看板があるほど
間近で見ると本当に圧倒されます。
ここが古より信仰の対象になってきた理由が解ります。
石段の上からは新宮の街並が一望
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