蔵王山(熊野岳)1841m 刈田岳(1757m)・蔵王刈田山頂駐車場より

蔵王山(熊野岳)に登りました。
「蔵王エコーライン」から、有料道路の「蔵王ハイライン (¥600-)」を通り、
蔵王刈田山頂駐車場からのお手軽周回ルートです。
晴れの予報でしたが、山頂一帯はガスに覆われ残念ながら周囲の景色や、
楽しみにしていた御釜は望むことが出来ませんでした。
蔵王山 熊野岳(くまのだけ)
| 標高 184028m | 登山日 2025年10月9日 |
| 蔵王連峰最高峰 二等三角点(熊野岳)熊野神社 | |
| 所在地 山形県山形市蔵王温泉 | |
刈田岳(かっただけ)
| 標高 1757.82m | 登山日 2025年10月9日 |
| 三等三角点(刈田岳) 蔵王刈田嶺神社 奥宮 | |
| 所在地 宮城県刈田郡七ヶ宿町大深沢 | |
| 難易度 ★ オススメ ★★★★ | 登山口(ナビ検索)あだたら高原リゾート |
| スタート地点(14:12)→馬の背分岐(14:16)→蔵王山(14:23)→熊野十字路分岐(14:33)→馬の背分岐(14:37)→馬の背(14:43)→蔵王山頂レストハウス(14:56)→刈田岳(15:05)→蔵王刈田山頂バス停(15:12)→ゴール地点(15:13) 所要時間 1時間17分 累積標高 228m / 226m 距離 5.5m | |
| ■蔵王山はかっては、「わすれずの山」として広く知られていたが、火を吹く山、火の山として恐れられ、大和の国吉野にあった蔵王権現を祭って以来「蔵王山」と称するようになった。その後、山麓では農業神、水神の住む霊山として、さらにその奥に山岳(蔵王)信仰が成立、同じ山岳信仰の出羽三山の「西のお山」に対し、「東のお山」として信仰を集めていた。蔵王エコーラインを境にして南・北蔵王に大別される。北蔵王は、火口湖・御釜を取り巻く熊野岳、刈田岳、名号峰の外輪山および蔵王温泉(高湯爆裂火口)を取り囲む鳥兜山、横倉山、瀧山等々の山々が含まれる。なかでも熊野岳と刈田岳間の「馬ノ背」と呼ばれる東側一帯は、火山岩や火山礫で覆われる荒涼とした岩原で、樹木の育成を見ない。わずかに岩陰にコマクサが可憐な花を咲かせている。山頂へはロープウェイ蔵王山頂駅より45分。 | |


蔵王刈田山頂駐車場
入口付近では曇り、霧のエコーラインを運転して
蔵王刈田岳頂上駐車場まで着くと少し晴れ間もありました。
蔵王山頂レストハウス
蔵王山頂レストハウス
所在地
〒989-0998 宮城県刈田郡蔵王町遠刈田温泉倉石岳国有林地内
駐車場
駐車可能台数:大型車 20台、普通車 300台ほど(第1 駐車場 135台,第2 駐車場 107台,第3 駐車場 30台,第4 駐車場 15台)
レストハウス1階
軽食処・お土産店 営業時間 9時 〜 16時 40分(変更・臨時休業有り)
レストハウス2階
蔵王山頂レストラン( 240名収容可)
ホームページ

レストハウスを過ぎ、登り始めてすぐに刈田岳と熊野岳の分岐があります。
やはり直ぐ霧に覆われてしまいました。
振り返ってレストハウス

本来であれば右に御釜が見えるはずですが、残念ながら見れそうにありません。

蔵王山 (熊野岳) 山頂、中央に小さく熊野神社の祠が見えます。

山頂から続く緩やかな尾根、途中にある建物は熊野岳避難小屋です。
御釜方面は真っ白

山頂へ最後の登りより、
歩いて来た登山道を見下ろします。
山頂の蔵王山神社
蔵王山神社
山形県側の山頂に鎮座する「蔵王山神社」、御祭神は須佐之男命です。
役行者が吉野の金峯山寺から金剛蔵王大権現を勧請して、
宮城県側の刈田岳山頂に祀ったのが起源とされています。
その後、山形県側の熊野岳には熊野神社が建てられます。
1952(昭和27)年には蔵王の名が有名になった事から、社名は蔵王山神社と改称されました。
蔵王山(熊野岳) 1840.28m 二等三角点(熊野岳)
山頂より
なだらかな山頂一帯
熊野岳避難小屋

帰路は御釜の縁を歩いて戻りました。
蔵王刈田嶺神社
刈田岳(1757.82m) 三等三角点(刈田岳)
蔵王刈田嶺神社 奥宮
宮城県側の刈田岳山頂に鎮座する「蔵王刈田嶺神社 奥宮」です。
御祭神は「天之水分神」・「国之水分神」です。
里宮は、麓の蔵王町遠刈田温泉に鎮座し、冬の間、御神体はこちらに移されます。
江戸中期の神仏分離により、
御祭神は「蔵王大権現」から天之水分神・国之水分神を祀る神社になりました。

刈田嶺神社の社伝によると、白鳳8年(679年)修験道の開祖 役行者(役小角)が
大和国の吉野山から蔵王権現を不忘山に奉還し、
奥羽山脈を修験道の修行の場としたと伝わります。
また、天武天皇の時代に、役行者の叔父に当たる行願が、大和国吉野の金峯山から
現在の蔵王の山頂に蔵王権現を分祀して修験の地としたとも伝えられています。
伊達宗高公命願之碑
伊達宗高公は、伊達政宗公の子にして、村田郡を治めていました。
その頃に蔵王山が噴煙をあげ被害が起こります。
宗高公は、噴煙あがる蔵王山に登り、鎮火の祈りを捧げ、
我が身がいけにえになっても良いと願ったとされます。
まもなく蔵王は鎮火し、伊達宗高公は若くして亡くなったといいます。
庶民は伊達宗高公の犠牲により蔵王山が鎮火したと伝承し、
昭和になり刈田岳に石碑が建立されました。
石碑の後には沢山のケルン

レストハウスへ戻り、御釜の写真を眺めました。

蔵王刈田嶺神社 奥宮 御朱印

