竹宇 駒ケ嶽神社・山梨県北杜市白州町白須




竹宇 駒ケ嶽神社・山梨県北杜市白州町白須

甲斐駒ヶ岳神社

竹宇駒ヶ嶽神社(ちくうこまがたけじんじゃ)は、山梨県北杜市(旧白州町)

山梨県と長野県の県境に聳える甲斐駒ヶ岳(2967m)の東麓に鎮座

山梨県側の甲斐駒ヶ岳への登山口(黒戸尾根)は

ここ竹宇(ちくう)と横手にあり、それぞれ登山口に駒ヶ嶽神社がある。

地元では竹宇駒ヶ嶽神社・横手駒ヶ嶽神社と区別されている。

尾白川渓谷 無料駐車場

天皇陛下(皇太子徳仁親王殿下) 甲斐駒ケ岳ご登頂記念碑

甲斐駒ヶ岳 竹宇登山口

境内入口

手水舎

子玉社(右) 祖霊宮(左)

甲斐駒ケ岳・駒ケ岳神社

甲斐駒ケ岳の名称は建御雷神から生まれた天津速駒と 言う白馬が住んでいたのに由来します。同様に尾白川 もこの白馬の尾から取られたものです。甲斐駒ケ岳は 信州の人今右エ門の次男、権三郎(後に弘幡行者開山 偉力不動尊)によって開かれた信仰の山であります。
駒ケ岳神社は甲斐駒の麓にあり、今から約270年前 に駒ケ岳講信者が建立し、須佐之男命の子、大躬 貴命が祭られています。幽玄なる神木に囲まれたこの 神社は毎年4月12日に神楽が行なわれ講社、氏子の 参拝で賑やかです。

神楽殿

本殿

甲斐駒ヶ岳神社

鎮座地

前宮(里宮) 山梨県北杜市白州町白須88841地区名:竹宇(ちくう)

本宮(奥宮) 甲斐駒ケ岳頂上

御祭神

主祭神 大己貴神(おおなむちのかみ)

配祀 少彦名神(すくなひこなのかみ)天手力男神(あめのたぢからをのかみ)

由緒

甲斐駒ケ岳は富士山とともに古代より人々が畏敬の念を抱き信仰の対象としてきた霊山です。往古、聖徳太子に献上された天津速駒(あまつはやこま)という白馬がこの山で生まれたのに因んで「駒ケ岳」と称されるようになったと伝えられています。海抜2,966m この嶮岨な霊峰は、江戸時代の文化年間に信州(長野県)の人、今右エ門の次男、権三郎〔後の弘幡行者(こうばんぎょうじゃ)・開山威力不動明王〕によって開かれました。 その甲斐駒の登山口にあたるこの地に里宮として建立されたのが「駒ケ岳神社」であります。平成15年の現在からさかのぼること約280年余り前になります。 世間一般に「だいこくさま」とよばれ尊崇されている大己貴神(おおなむちのかみ・大国主神)を主祭神とし、少彦名神、天手力男神等、七柱の神々が祀られています。 祭日は本来4月12日ですが、近年は諸般の事情により〔4月10日から16日の間の日曜日〕と定めて祭典を行っています。当日は太々神楽が奉奏され、氏子、崇敬者、講社の参拝で賑わいます。 地元はもとより京浜方面、或いは阪神地区にまでも駒ケ岳講が結成され、広く厚く信仰をあつめて今日に及んでおります。  甲斐駒ヶ岳神社H.Pより

霊神碑

駒ケ岳講について

駒ケ岳神社、及び霊山甲斐駒を崇拝する人達で組織されたグループ(講社)の総称です。神社に参詣するだけではなく甲斐駒に登拝すること、及び、 修行を目的としています。 各講社毎に先達(せんだつ)とか行者(ぎょうじゃ)と呼ばれる経験豊かな長老がおり、講員は白衣を着て鈴を振り、大祓詞(おおはらえことば)・般若心経などを 唱えながら登拝します。 なお、出発に先立っては心身を清浄にし、禁忌を犯さぬよう、いわゆる精進潔斎がこころがけられていします。 現在活動している講社としては、開力講・三山寿永講・丸王講・天竜講・寿(ことぶき)講・明山講などがあります。 先達が引退、或いは亡き後、適当な後継者に恵まれず講社としては解散し、以後 個人・家族で参拝する形をとっている例もあります。 駒ケ岳講の活動が最も盛んであったのは、江戸時代の末期から、明治、大正、 昭和(戦前)の時代で、境内を始め登山道のいたる所に建立されている数多の石碑、霊神碑から往時の篤い信仰の跡がうかがわれます。 また、碑の刻銘や諸資料から盛時には、日元講、開びゃく講、落合講などの講社も存在していたことがわかります。

甲斐駒ヶ岳神社H.Pより

霊神碑(レイジンヒ)

古くから甲斐駒ヶ嶽の大神様を崇拝して深く信仰を納めてこられた県内外の先達様が神様として祀られております。系内に建立されている碑の数々は古くは明治時代初期より続く霊神碑(神様)でございます。

名水神社 龍神宮

黒白龍神宮

摩利支天

尾白川にかかる釣橋

本殿に向かって左手にある吊り橋を渡ってしばらく行くと

甲斐駒ヶ岳への登山道と尾白川渓谷・日向山へのコースに分かれます。

御朱印

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