諏訪神社(すわじんじゃ) 浜松市天竜区二俣




諏訪神社(すわじんじゃ) 浜松市天竜区二俣

静岡県神社庁H.P
http://shizuoka-jinjacho.or.jp/shokai/jinja.php?id=4412026

信康山 清瀧寺・本田宗一郎ものづくり伝承館との間に

諏訪神社があります。


手水舎


鳥居

毎年8月22日には二俣まつり(二俣諏訪神社祭典)が行われることでも有名

お祭りの見どころは御殿屋台の曳き廻し。

屋台は遠州地方の夏まつりとしては最多の13台を数え

一つの神社の祭典の屋台数としては県下でも最大級。

豪華絢爛な屋台はどれも歴史のあるものばかり。

このお祭りを見に県外からも多くの人が見に来ます。


拝殿

二俣諏訪神社の創祀は明らかではない。
口伝によると、大明神の辺りは松林で“諏訪の森”といい、
明治のはじめ頃まで境内に大きな老松が聳えたっていた。
昔、信州の諏訪大社の信徒たちは『お願』をかけてその札に御神威を広めるため、
諏訪さまの小さな祠を造ってそれを天竜川に流した。
それが天竜川の増水で、川口村から二俣川に逆流してきた水に乗って、
諏訪の森の松の木にかかったのを、村人がこの所に祀ったのが、
諏訪神社のはじまりである。
ところが当時の二俣村は、天竜川が増水するごとに
二俣川は天竜川からの水が逆流しやすく、その逆流は谷川の出水を混えて水勢を増し、
二俣盆地の家屋は悉く水に浸るという有様であった。
それで村人は、諏訪大明神を今のところに遷して諏訪大社にならい
これを『上諏訪大明神』、大明神のほうを『下諏訪大明神』と呼んだ。
そして時が下がり、いつのころからか、
ただ単に『諏訪神社』、『大明神』と人々に呼ばれるようになったという。
それが明治初年の『社寺取締法』の改正で一村に一社しか認められなくなり、
大明神の土地が仲町の近江屋に払い下げになった。
ところが明治14年、明治16年とつづいて大火に見舞われた新町の人達が恐れおののいている時、
仲町に住む法華宗信者が「神様の祟りでまだ焼ける」と言った。
驚いた新町の人々は早速、近江屋から大明神の土地を譲り受けて祠を建てて祀り、
大明神社殿を建築し御神輿の御旅所として復活し現在に至っている。
『壬生の郷 二俣まつり』より


本殿

本殿は崖に沿って、レアな配置です。

由緒沿革
創立年代不詳

文治二年(西暦一一六八年)遠江守護職安田義定東上途次参拝
延元四年(西暦一三三九年)宗良親王駿河国下向途次御参拝アリ
元亀三年(西暦一五七〇年)十二月武田信玄二俣城ヲ領スルヤ守護神ト崇教サル
明治八年三月村社二列ス 明治四十一年六月神饌幣帛供進指定サル
宗教法人二依ル登記年月日 昭和二十九年四月二十一日
境内総坪数 四一八坪  山林 五畝二歩
男女杉 推定四五〇年  神社名 諏訪神社
神饌幣帛供進指定 明治四十年六月二十一日
鎮座地 天竜市二俣町二俣

御祭神名  建御名方命

合祀
神明神社  祭神 天照皇大神
熊野神社  祭神 伊邪那岐命
鳥羽山神社 祭神 猿田彦命
須賀神社  祭神 須佐之男命
水天宮   祭神 経津主命

例祭     八月二十二日

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