矢岳山(926.92m)・中央構造線 内帯歩き




矢岳山(926.92m)・中央構造線 内帯歩き

家で地学の本をなどを読んでいると無性にここを歩いてみたくなりました。

中央構造線は新城市、佐久間からホウジ(北条)峠を通って水窪へと続きますが、

このあたりで向きを変えて静岡・愛知間の県境縁を北上します。

この中央構造線は北側(日本海側)を内帯、南側(太平洋側)を外帯と呼びますが、

日本がまだ大陸の一部だった頃に元々あったのが内帯、

ずれ動いてくっ付いたのが外帯で、この断層を境に出来た年代も地質も全く異なります。

今回は佐久間町の飯田線 中部天竜駅から、矢岳山 〜 池の平まで、

ちょうど中央構造線の内帯の境を歩いて来ました。

矢岳山(やたけさん)

標高 926.92m 登山日 2022年11月27日
三等三角点(黒下) 県境の静かな山
所在地  静岡県浜松市天竜区佐久間町佐久間

難易度 ★★★★   オススメ  登山口(ナビ検索) 中部天竜駅
中部天竜駅(07:42)→矢岳山(11:35~11:50)→池の平峠(13:52)→ゴール地点(14:39) 所要時間 6時間56分 累積標高 1731m / 1607m 距離 17.6km
■矢岳山へは、二本杉峠付近の羽ヶ庄・北条峠からそれぞれ登山口がある。
■国道152号 佐久間町戸口の大井橋から国道473号方面へ、さらに県道290号(水窪羽ケ庄佐久間線)より 二本杉峠にアクセス
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遠州(えんしゅう)地方とは旧令制国の遠江国(とうとおみ)一般的には、大井川から西側の範囲湖西市・浜松市・磐田市・袋井市・森町・掛川市・菊川市・御前崎一部(牧之原市・島田市・川根本町)のことを言います。 遠州灘から浜名湖、南アルプス・深南部まで、バリエーションに富んだ山々が多く魅力に満ちた山域です。

水窪百山」は、NPO法人「山に生きる会」の皆さんが調査・整備を主目的としてリストアップした山のリストです。

JR飯田線 水窪駅

「水窪の星の駅 碧–AOI 」に駐車、

JR飯田線「水窪駅」から「中部天竜駅」まで (¥240-)

辺りは霧で真っ白です

飯田線

豊橋(とよはし)(愛知県)―辰野(たつの)(長野県)間195.8キロメートル、豊橋―豊川間のみ複線、その他は単線、全線直流電化。

豊川と天竜川の河谷を走り、東海道本線と中央本線を結ぶ。

沿線には豊川、新城(しんしろ)、飯田、駒ヶ根(こまがね)、伊那(いな)などの諸都市や、鳳来寺(ほうらいじ)山、佐久間(さくま)ダム、天竜峡などの観光地がある。

もとは豊川鉄道(豊橋―長篠(ながしの)〈現、大海(おおみ)〉、1897~1900年開業、1925年電化)、鳳来寺鉄道(長篠―川合〈現、三河川合〉、1923年開業、1925年電化)、三信(さんしん)鉄道(三河川合―天竜峡、1932~1937年電化開業)、伊那電気鉄道(天竜峡―辰野、1909~1927年電化開業)の四私鉄によって建設され、1943年(昭和18)国有化されて飯田線となった。

1987年、日本国有鉄道の分割民営化に伴い、東海旅客鉄道に所属。佐久間ダムの建設に伴って、佐久間―大嵐(おおぞれ)間の路線が水没し、水窪(みさくぼ)川の谷や大原トンネル(長さ5063メートル)経由の路線に変更された。

中部天竜駅

天竜川 中部大橋より

昭和12年竣工の中部大橋は天竜川を挟んだ対岸の地名、中部に由来し、

(なかっぺ)と読むそうです。

駅名も当初は(なかっぺてんりゅう)という読みだったそう。

龍のモニュメント

国道473号と県道1号との分岐には、「民話の郷 佐久間」の

如来宝珠を掴んで天に昇る龍の姿をモチーフにしたモニュメントがあります

佐久間周波数変換所

佐久間周波数変換所は東日本(50Hz)と西日本(60Hz)を連系している、

日本に4つしかない変換所のうちのひとつで、

その中でも最も古く1965(昭和40)年から運転しているそうです。

県道1号(飯田富山佐久間線)を佐久間ダム方面へ

天竜川と大千瀬川の合流点より

左のピークは菖蒲根山(756.7m)

手前は静岡県立浜松湖北高等学校佐久間分校

松山公園より

松山公園より、山茶花が満開で綺麗です

入口には祠があり、

銘板には「大正七年仲秋 北遠四国八十八ヶ所親大師」とあります。

どうやら松山公園は四国十八ヶ所の霊場となっているようです。

松原弘法

「大正7年 佐久間村・山香村(※旧佐久間町東部)の人たちが弘法大師霊場の開創を企図 大正8年 寄進により石像が建立され、佐久間村の“中部松原”(今の佐久間中・高のあたり)に安置 昭和28年 中部の川原の砂利が佐久間ダムの建設資材として使われることになったのを受け、弘法像を中部の宥泉寺に移転 昭和33年 松山公園の整備・開園と同時に、75体+番外13体を移設 その後、松山公園へ移設されなかった欠番分の弘法像を順次補充」 佐久間の民俗 (遠州常民文化談話会編著)

山茶花と石仏

当初、霊場が造られたのは松山公園ではなく、天竜川にあった「松原弘法」

と呼ばれる中洲(現在の静岡県立浜松湖北高等学校佐久間分校 付近)にありました。

ダム建設に伴い今の場所に移設されたそうです。

展望台の手前に最後の石仏、立派なお社もあります。

展望台より望む佐久間ダム

黒部ダムへと引き継がれる戦後日本の土木技術史の原点となったダムです

何度見ても面白い建設記録、消えしまう前にぜひ観てください

佐久間ダム建設記録 第一部 英映画社製作

https://youtube.com/watch?v=PwcSdsmT2Vg&feature=share

佐久間ダム建設記録―2部 英映画社制作

https://m.youtube.com/watch?v=dZadmJTIxak

戸口山(1029.2m)・橿山(1058.8m)

浜松市天竜区佐久間町天竜川を挟んで人気の竜頭山に対峙する「戸口山・橿山・菖蒲根山」の3座を歩いてきました。

愛宕山(802.1m)・竜頭山(1352.1m)

天竜区佐久間町の「愛宕山」へ。国道152号を佐久間町戸口の大井橋から国道473号方面、さらに県道290号(水窪羽ケ庄佐久間線)、下平集落から林道を峰集落より。

展望台より

これから向かう尾根、ここから道は不明瞭に

中電の巡視路付近は整備されています。

ですが、中央構造線の内帯は花崗岩等を中心とする領家変成帯の岩石、

脆くザレていて歩き難いです。

ちなみに領家変成岩、水窪町の奥領家が名の由来。

振り返って歩いて来た尾根と佐久間の街

緩やかにカーブする中央構造線のケルンコル(断層谷)断層によって作られた谷です。

向かいは中央構造線 外帯、後からくっ付いた全く違った地質の山です。

ここが核心部、垂直に近い登りに手子摺りました。

この辺はほぼ藪漕ぎ、険しいアップダウンも連続します。

三等三角点(後山) 598.81m 

ここから方面を変えて激下り

しっかり足場を確保しないと下までずり落ちてしまいそうな急坂

鉄塔からはこの日一番の展望 佐久間湖を挟んで愛知の山

離山(916m)日本ヶ塚山(1107.8m)

離山(916m)は愛知県北設楽郡豊根村の南東部に位置し西麓はみどり湖より流れる大入川、東麓は佐久間湖に面しています。

天竜区佐久間町の「矢岳山」へ。佐久間湖を隔て愛知県の「離山」と対峙する県境の山です。県道290号(水窪羽ケ庄佐久間線)沿い、二本杉峠付近 羽ヶ庄の登山口より。

ようやく見えて来た矢岳山ですが 山頂部はまだ見えません

歩いて来た尾根 、険しさ伝わるでしょうか

何度も眺めてしまいます

中央構造線は豊川、新城、佐久間から緩やかに進路を変え、

ちょうどこの辺りから北東方向へ真っ直ぐ伸びています。

これはプレートによって伊豆バー(丹沢山地や伊豆半島など)が

日本列島に衝突したことにより曲げられたとも考えられているそうです。

最後の鉄塔より 愛宕山と峰集落、背後は竜頭山からの尾根

こちらも全て外帯、手前の尾根は主に三波川変帯、

奥はプレートによりもたらされた付加体の山々

矢岳山(926.92m)

2度目の矢岳山(926.92m)

前回は二本杉峠付近 羽ヶ庄の登山口より登りました。

ここまで藪漕ぎと急登の連続でクタクタ、のんびりランチにしました。

三等三角点(黒下)

天竜区佐久間町の「矢岳山」へ。佐久間湖を隔て愛知県の「離山」と対峙する県境の山です。県道290号(水窪羽ケ庄佐久間線)沿い、二本杉峠付近 羽ヶ庄の登山口より。

林道 池の平矢岳線

矢岳山の山頂からは北東に伸びる尾根を進んでいきます。

ここからは割とよく踏まれた道で、今までと比べると随分楽です。

やがてホウジ峠(北条峠)から続く「林道 池の平矢岳線」へ合流します。

「林道 池の平矢岳線」は大津峠からも工事が行われています。

林道より、「中ノ尾根山〜黒沢山〜シャウズ山〜不動岳」

林道沿いに石仏(子安地蔵) 「白石山」とあります

林道終わりでは法面工事中

ここから再び取付ます

歩いていたら急に建物が現れてました。

作業小屋にしては随分大きな建物です。

三等三角点(池ノ平) 881.26m

この三角点ピークの少し先には「亀ノ甲山(標高844m)」の山頂があります。

この山頂から西側へ200mほど降った窪地は「池の平」と呼ばれ、

7年に一度幻の池が現れることで有名です。

遠州七不思議の一つに数えられています。

遠州七不思議(えんしゅうななふしぎ)とは、静岡県の遠州地方に伝わる七つの不思議な物語のことです。遠州七不思議といっても組み合わせには諸説あり、合わせると7つ以上存在します。地域によって話が違っていたり、一定したものではないようです。

今回は亀ノ甲山や池の平には寄らず下山しました。

水窪百山「池の平峠」ここからは歩きやすい登山道

池の平登山口へ

亀ノ甲山の少し下に広がる盆地は「池の平」と呼ばれ、ほぼ7年に一度「幻の池」が出現し数日間で姿を消すそうです。古い言い伝えでは菊川の桜ヶ池を出発した竜神様が春野の新宮池やここ池の平で休憩し諏訪湖へ向かうとためと言われています。

後河内川

大洞山(930m)と高根山(高根城跡)(447m)

未踏の大洞山から山住峠、常光寺山への周回ルートを計画し早朝「高根城公園駐車場」まで、ここから城跡への散策コースが整備されています。高根城跡は発掘調査をもとに城郭の復元整備が行われ、本曲輪部分には、井楼櫓、城門などが復元されています。

オオモウ山(1250m) 〜 門谷矢筈山(1050m)・長尾矢筈山(1040m)

水窪川を挟んで左は「奥領家」右は「地頭方」

今でも鎌倉時代の下地中分の名残りが残る珍しい場所だと思います。

水窪の星の駅 碧 (旧 国盗り)より、手前に大津山、中央には通称 ケツ山と呼ばれる双耳峰の(門谷・長尾矢筈山)水窪の西側の稜線を歩いてきました。

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