白倉山(1027.4m) 中日向城跡(479m)・白倉山西尾根
静岡の百山の一座で一等三角点を有する「白倉山」を西尾根から登って来ました。
尾根先には中日向城(中尾生城)という中世の山城があります。
*一部バリエーションルートとなります。
白倉山(しらくらやま)
標高 1027m | 登山日 2024年7月21日 |
一等三角点(白倉山) 静岡の百山 | |
所在地 静岡県浜松市天竜区佐久間町 |
中日向城跡(中尾生城)(なかびゅうじょう)
標高 479m | 登山日 2024年7月21日 |
中世の山城跡 | |
所在地 静岡県浜松市天竜区佐久間町 |
中日向集落(なかびゅう)
林道 中日向夏秋線
中日向集落の先、林道 中日向夏秋線はここから通行止めです。
中日向城跡へのアクセスは現在徒歩のみとなります。
中日向城跡(中尾生城)との分岐。
さらに林道を真っ直ぐ行くと北側の登城口に至ります
曲輪など、城跡だとわかる遺構が多数見られます。
479mのピークには神社が祀られています
城山稲荷神社
明治三十三年六月に奉納された石燈籠
北側の登城口へ下り中日向夏秋線に合流。
ここには鳥居と案内板がありました。
北遠山中の今川氏の支城
中尾生城(なかびゅうじょう)
中尾生城は秋葉ダムから東海自然歩道に沿って西へ1.5キロメートルの所(中日向)にある山城で、標高 497mの山稜一帯に曲輪、土塁、空堀の遺構を残し、旧街道など幾つかの古道が通じる交通や軍事的な用地であったとされ、県下で最も天険で要害堅固な城であったといわれている。 頂上には城山稲荷が祀ってある。 この山城、今川氏輝の時代、犬居(春野町)天野氏の反乱に対応して今川氏によって築城された。 享禄2~3年(1529年~30年)にかけて、今川方の城将二俣近江守昌長は敵軍の攻撃に対し、城中で奮戦 西手(天竜川右岸の龍山町・佐久間町辺)、また奥山(水町・佐久間町辺)にも何等かの権限を与えた (『今川一族向坂家譜」)。匂坂長能は遠江国豊田郡句坂(磐田市坂上・中・下・新)を本貫とする国人領主で、 この城で在番役を務めた。 永禄10年(1567年)正月今川氏真は、奥山兵部丞・同左近将監両名に対し、「中尾生之取手普請」を命じ、諸事天方三河守(通興)・天野宮内右衛門尉(藤秀)等と相談して、隣郷の農民を動員して必ず実施するよう命じている。 (「奥山文」)。 ここに見える名前は北遠の国人・土豪であり、風雲急を告げる時にあたり、武田・徳川両勢力の進攻に備え、北遠山中の今川氏支城の補強を図ったものであろう。 【参考文献】 「北遠奥山氏について」『高根城(久頭郷城)総合研究報告書』所収
P589
中日向城跡の先、林道が終わり、北に続く尾根に乗ります。
ここからはバリエーション区間、P589の鉄塔までは伸びきった雑草と、
シダの藪を漕いで来ました。
一度、林道に出て再び尾根へ、
ここからは中電の巡視路となり快適な道が続きます。
ハカサ山〜小仏山の稜線・奥は秋葉山から続く尾根
山頂の西にある「遠州展望ポイント」、ここに出てきます。
天竜川と遠州灘
白倉山(1027.40m) 一等三角点(白倉山)
山頂からは一般道を使い白倉峡まで下山。
白倉峡(しらくらきょう)
天竜川の支流白倉川の上流5kmにある遠州屈指の紅葉スポット。渓谷沿いには全長1kmの遊歩道が整備されており、普通に歩いて約30分程。随所に滝や渓流の見所と橋などがあり、大自然を間近に感じながら散策できる。紅葉以外にも、新緑の季節や滝涼みなどにもおすすめ。
所在地 431-3804 静岡県浜松市天竜区龍山町大嶺
駐車場 上・5台程度 下3台程度
トイレ 有り(*上の駐車場のトイレは現在閉鎖中)
白倉川と併走する静岡県道361号(白倉西川線)を戻り終了です。