下総国一宮 香取神宮(かとりじんぐう)・千葉県香取市香取




下総国一宮 香取神宮(かとりじんぐう)・千葉県香取市香取

千葉県香取市香取に鎮座する「香取神宮(かとりじんぐう)」です。

下総国一宮」として延喜式神名帳には名神大社として記載されおり、

正一位 勲一等の神階を奉叙しています。

また、延喜式において神宮の号 を受けているのは、「伊勢神宮」「香取神宮」「鹿島神宮」

の唯一3社のみとなります。

明治4年には官幣大社に列格、昭和17年には勅祭社に治定されました。

主祭神の「経津主大神(ふつぬしのおおかみ)」は、

鹿島神宮の御祭神「武甕槌大神(たけみかづちのかみ)と共に

天から指し遣わされた武神として知られています。

神代に「経津主命」・「武甕槌命」が芦原中津国を平定、

その子孫が香取・鹿島の両地に拠を構えて香取神宮・鹿島神宮を其々創建したといいます。

古くは朝廷から蝦夷に対する平定神として、

また藤原氏からは氏神の一社として崇敬されました。

その後も歴代の武家政権からは武神として崇敬されてきました。

表参道

駐車場から総門へつながる現在の表参道は、大正期に新設されたものです。

元は楼門から西側へ向かう道が表参道で、起点は利根川沿い津宮河岸(つのみやがし)でした。

二の鳥居

参道正面に朱塗りの第二の鳥居が建ちます。

朱色と周囲の老杉の緑とが良く調和して、神域の入口にふさわしい美観を呈しています。

香取神宮 境内案内図

香取神宮

H.P    https://katori-jingu.or.jp/

所在地   〒287-0017 千葉県香取市香取1697-1

電話番号  0478-57-3211(FAX 0478-57-3214)

参拝時間  24時間

授与所、御朱印受付の時間(通常)8:30~17:00

(祈祷受付~16:30迄)・(宝物受付~16:00迄)

駐車場   有り(無料)

アクセス

(電車)  JR佐原駅下車、タクシーで約10分。

(車)   東関東自動車道 佐原香取ICから約1.5km

石灯篭が立ち並び、木々鬱蒼とした玉砂利の参道の両側には、桜や楓が植えられています。

春の桜花・秋の紅葉は見事なのだそうです。

三の鳥居

参道左手に神池が見えてきたら、三の鳥居が間近です。

鳥居の先は舗装路となっており、車祓戸があります。

総門

約30段の石段の先に朱塗りの楼門が建ちます。

楼門をくぐった先、旧参道と合流します。

香取神宮御由緒

鎮座地

千葉県佐原市香取

御祭神

経津主大神(フツヌシノオオカミ)

又の御名「伊波比主命」(イハヒヌシノミコト)

御事歴

大神は天照大御神の御神意を奉じて、鹿島の大神と共に出雲国の大国主命と御交渉の結果、円満裡に国土を皇孫に捧げ奉らしめ、更に国内を御幸して荒振る神々を御平定され、日本建国の基を御築きになり、又東国開拓の大業を完遂せられて、平和国家の建設と民生の安定福祉に偉大なる御神威を顕わされた。

御神徳

古来国家鎮護の神として皇室の御崇敬最も篤く、特に「神宮」の御称号を以て奉祀され、名神大社として下総国の一の宮である。明治以後の社格制では官幣大社に列せられ、その後勅祭社に治定せられて今日に至っている。奈良の春日大社、東北の鹽竃神社を始めとして、香取大神を御祭神とする神社は全国各地に及んでおり、昔からの伊勢の上参宮に対し下参宮と云われ、広く上下の尊崇をあつめて居る。又、一般からは産業(農業・商工業)指導の神、海上守護の神或は心願成就、縁結、安産の神として深く信仰されている。尚その武徳は平和、外交の祖神と敬われ、勝運の神、交通安全の神、災難除けの神として有名である。

御社殿

宮柱の創建は神武天皇御宇十八年なる由香取古文書に記されている。去る昭和三十三年四月、御鎮座二千六百年祭が盛儀を以て斎行せられた。古くは伊勢神宮と同様式年御造営の制度により、御本殿を二十年毎に造替されたのであるが現在の御社殿(本殿・楼門・祈祷殿)は元録十三年(西紀一七〇〇年)、徳川綱吉の造営に依るものである。昭和十五年、国費により拝殿の改築と共に御本殿以下各社殿を御修営し、その後昭和五十二年から三年の歳月を懸けて、御屋根茸替・漆塗替が行われた。構造は本殿(重要文化財)、中殿、拝殿相連れる所謂権現造である。

境内

香取の神域は大槻郷亀甲山と呼ばれ県の天然記念物に指定され、その面積は一二三、〇〇〇平方米(約三万七千余坪)で他に境外社有地がある。神域内は老杉鬱蒼として森巌の気自ら襟を正さしめる。

香取神宮 楼門

香取神宮 楼門

楼門は本殿同様元禄13年の幕府造営のものです。三間一戸で、様式的には純和様で構築され丹塗りが施されています。屋根は入母屋造銅板葺ですが、当初はとち葺でした。
楼門内安置の随身は俗に左大臣右大臣と呼ばれていますが、正面向かって右の老人像は「竹内宿祢」、左の壮年像は「藤原鎌足」と伝えられています。 また楼上の額は 「東郷平八郎」の筆によるものです。

この楼門は上下階のバランスが素晴らしく、香取神宮のシンボル的な建物となっています。(昭和58年重文指定)

香取神宮 拝殿

御祭神

経津主大神(ふつぬしのおおかみ)
又の御名伊波比主命(いはひぬしのみこと)

例祭日

4月14日 勅祭

御祭神の神話

皆さんは、出雲の国譲りの神話をご存じでしょうか?
香取の御祭神経津主大神(ふつぬしのおおかみ)は、この神話に出てくる神様なのです。
神話の内容は、はるか昔、天照大神(伊勢神宮・内宮の御祭神)が日本の国を治めようとしましたが、荒ぶる神々が争い、乱れていました。
大御神は八百万神に相談すると、天穂日命(あめのほひのみこと)がすぐれた神であるということで遣わされましたが、  出雲国の大国主神(おおくにぬ しのかみ)に従ってしまったので、次に天稚彦(あめのわかひこ)が遣わされました。 天稚彦もまた忠誠の心なく、 顯國玉神(うつしくにたまのかみ)の娘の下照姫(したてるひめ)を妻として、自ずから国を乗っ取ろうとしましたが、亡くなってしまいました。
このようなことが二度つづいたので、大御神が八百万神に慎重に相談させると、神々が口を揃えて、経津主神こそふさわしいと申し上げました。 そこへ武甕槌大神(たけみかづちのかみ・鹿島神宮の御祭神)が申し出られたので、 共に出雲に派遣されることになりました。
経津主、武甕槌の二神は出雲国の稲佐の小汀(いなさのおはま)に着いて十握剣(とつかのつるぎ)を抜いて逆さに突き立て、武威を示されると 大国主神は大御神の御命令に全く異議はありませんということで、平国の広矛(くにむけのひろほこ)を受け取り、二神は日本の国を平定して、大御神の元へ復命されたのです。

御神徳

古くから国家鎮護の神として皇室からの御崇敬が最も篤く、特に『神宮』の御称号(明治以前には伊勢・香取・鹿島のみ)を以て奉祀されており、中世以降は下総国の一宮、明治以後の社格制では官幣大社に列し、昭和17年、勅祭社に治定され今日に至っています。

奈良の春日大社、宮城の鹽竈神社を始めとして、香取大神を御祭神とする神社は全国各地に及んでいて、広く尊崇をあつめています。
一般からは家内安全、産業(農業・商工業)指導の神、海上守護、心願成就、縁結、安産の神として深く信仰されています。さらに、その武徳は平和・外交の祖神として、勝運、交通 安全、災難除けの神としても有名です。

式年神幸祭

神幸祭は毎年4月15日に行われておりますが、12年に一度の午年には15・16日の両日に掛けて盛大裡に執り行われます。

元は式年遷宮大祭の名で20年に一度行われていたとされていますが、戦国時代以降、式年遷宮が行われなくなり、替わって12年に一度ずつ神幸祭を行うことになり今日に至ったとされています。
現在、15日は御神輿を中心として氏子数千余名の奉仕員が行列を組み神宮を出発し津宮へと進み、利根川沿いの鳥居河岸より御座船に移り船上祭、ついで鹿島神宮による御迎祭が行われた後、利根川を遡り佐原河口へ御上陸し御旅所に御駐泊。翌16日も同様に行列を組み、市内を巡幸し、陸路を神宮へ還御というかたちで斎行されています。

香取神宮 本殿

香取神宮 本殿

香取神宮の本殿は、平安時代には伊勢の神宮と同様に20年ごとのお建替の制度がありましたが、戦国時代には衰退しました。現在の本殿は、元禄13年(1700年) 徳川幕府の手によって造営されたものです。
この本殿は、慶長年間の造営で用いた桃山様式を元禄の造営時にも取り入れよく受け継いでいます。

本殿の様式は正面柱間三間の流造に後庇を加えた両流造り、現在屋根は桧皮葺ですが、もとは柿葺でした。規模も大きく、また建築様式も近世前期の正統的な手法を用いており、全国的に見てもこの時期の神社建築を代表する建物です。(昭和52年重文指定)

「香取」という地名は、『日本書記』に「此の神(=祝い主)、

今、東国の楫取(かじとり)の地に在り」と記されています。

これを根拠に、カトリは舟の楫取の意である、という説が有力です。

当初、香取神宮を奉斎していた有力氏族は、

強力な水軍を保有して香取の海を制圧していました。

この海の周辺には、多くの水夫(=楫取)たちが居住していたようです。

神饌殿

匝瑳神社の手前、三本杉の左手に神饌所があり、その傍らに大きな錨がある。

長年の役目を終えた海上自衛隊練習艦「かとり」の錨が、香取神宮に奉献されたものです。

匝瑳神社

摂社 匝瑳神社は香取大神の親神「磐筒男神」「磐筒女神」を祀ります。

御神木

拝殿の右側には樹齢千余年・目通り約7.4mという大きな御神木があります。

明治時代の国文学者で歌人の落合直文が、

「このめぐりいくさかありと四人して いだけどたらず神のふる杉」と詠んでいる。

神楽殿(旧拝殿)

本殿とともに元禄13年(1700)に建造されたもので、

昭和13年に現在の拝殿が新築されるのにともない南東方向に移築され、

昭和59年に再度、移築され現在の場所に。千葉県有形文化財に指定されています。

香取護國神社

香取護國神社

参道の左手にあり、昭和二十一年九月創建されました。明治以降の国難に殉じた香取郡出身の御霊を御祭神としています。春・秋、二度の例祭が行われています。

押手神社

要石の前には、末社の押手神社がある。

御祭神に、宇迦之御魂神を祀っています。

要石

要石

古くより、この地方は大変地震が多く、人々はとても恐がっていました─これは、地中に大きなナマズが住み着いて荒れ騒いでいるのだと。香取・鹿島両神宮の大神様等は、地中に深く石棒を差し込み、大ナマズの頭尾を刺し通されたといいます。当神宮は凸形、鹿島は凹形で、地上に一部を現し、深さ幾十尺と伝えられています。貞享元年(一六八四)水戸光圀公が当神宮参拝の折、これを掘らせましたが根元を見ることが出来なかったといわれています。

天真正伝神道流(てんしんしょうでんしんとうりゅう)、別名 香取神道流とは、

室町時代に形成され、その後、中条流・鹿島神道流・影久龍などが誕生した

国内最古の権威ある流儀として知られています。

その始祖とされている「飯篠長威斉(いいざさちょういさい)」の墓が

ここ香取神宮の境内にあります。

剣聖と呼ばれる飯篠長威斎は香取神宮境内の森深くで修業し、

剣法の奥義を極めたと伝えられ、将軍足利義政に仕えていたこともあるそうです。

香取神宮 奥宮

奥宮

香取の宮中、旧参道の中程に鎮座。経津主大神の荒御魂を祀ります。現在の社殿は、昭和四十八年伊勢神宮御遷宮の折の古材に依るもの。

香取神宮 御朱印

香取神宮 奥宮 御朱印

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