佐和山(232m)・弁天山(194m) 東山ハイキングコース・滋賀県彦根市




佐和山(232m)・弁天山(194m) 東山ハイキングコース・滋賀県彦根市

Wikipedia / 佐和山城
https://ja.wikipedia.org/wiki/佐和山城

龍潭寺から旧佐和山城址・大洞弁財天を巡る

東山ハイキングコースへ

JR彦根駅から数分、佐和山の麓へ

佐和山城跡

佐和山城の歴史は古く、鎌倉時代初期に近江源氏佐々木定綱(ささきさだつな)
の6男時綱(ときつな)が、佐和山の麓に館(やかた)を構えたのが始まりと伝える。
その後、佐々木氏は湖南の六角氏と湖北の京極氏に分かれて対立。
佐和山城は、両勢力の境目の城として攻防が繰り返された。
やがて湖北では、京極氏に代わって浅井氏が覇権を確立し、
湖南の六角氏との間で佐和山城争奪戦が展開されることになる。

信長、秀吉の時代にも、佐和山城は近江の要衝を守る城として重視された。
信長は佐和山城に重臣の丹羽長秀(にわながひで)を配し、
安土城築城までの間、佐和山城が安土城の機能を維持した。
秀吉の代も、堀秀政(ほりひでまさ)、堀尾吉晴(ほりおよしはる)、
そして五奉行筆頭の石田三成(いしだみつなり)の入城と、
佐和山城に重きを置く姿勢は変わらなかった。
この間、佐和山城はしだいに整備され、山上に本丸以下、
二の丸・三の丸・太鼓丸・法華丸などが連なり、山下には東山道に面して大手門が開き、
2重に巡らされた堀の内外には侍屋敷・町屋そして足軽屋敷などの城下町が形成された。

龍潭寺

1600年、井伊直政が佐和山城主となった際に、

井伊家の発祥地である静岡県浜松市 井伊谷の龍潭寺を分寺し、

龍潭寺の五世・昊天禅師を招いて建立された井伊家の菩提寺です


大洞観音堂

大洞観音堂の裏より

墓地には幕末の大老 井伊直弼の母の墓や 側室・里和の文塚など

多くの史跡も残っています。

佐和山は現在龍潭寺が所有、

ご好意により無料での入山が許可されています。

200m程度ですが軽登山の装備は必要

分岐尾根の(龍潭寺越え)より

左は大洞弁財天・右へ行くと佐和山城跡へ

西の丸など所々に遺構が残る

佐和山城跡へ

供養地蔵像

佐和山城の戦いの後、 井伊直継(直勝)により廃城 彦根城へ

佐和山(232m) 山頂

三等三角点

来た道を戻り弁天山(194m)へ

標識等はありません。

麓へ下山

大洞弁財天の奥の院へ


大洞弁財天 本堂


大洞弁財天 阿弥陀堂

JR線路沿いへ

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