曽良山「鶴岡山 西山」 (712.35m) 細野城址・岐阜県土岐市 愛知県豊田市




曽良山「鶴岡山 西山」 (712.35m) 細野城址・岐阜県土岐市 愛知県豊田市

曽良山(鶴岡山 西山)

標高 712.35m 登山日 2021年12月11日
二等三角点(細野村) 豊田市では西山 土岐市では鶴岡山 曽木では曽良山と山名が異なる
所在地  岐阜県土岐市・愛知県豊田市

難易度 ★     オススメ ★★ 登山口(ナビ検索) 蛾ヶ岳登山口
曽木公園(07:14)→曽良山・鶴岡山・西山(07:59)→師岩(08:12)→細野城址(08:25)→曽木公園(09:15) 所要時間 2時間03分 累積標高 439m / 444m 距離 7.4km
■豊田市の旧小原村と岐阜県土岐市の県境に位置する山。曽良山、西山、鶴岡山とも呼ばれている。
土岐市内にある山の中では最高峰で、古い文献によると、山頂には弘法大師が鳳来山方面からここを行脚した際に足跡をつけた「師岩」という岩があったとの伝説も残っているが、登山者の関心は低く、かつては登山道はヤブで覆われていた山だった。

しかし2014年から、地元有志による登山道整備により、初心者の方にも登りやすい山となった。また、岐阜県曽木町からの定期的な曽良山登山イベントも開催されるなど、安全で手軽な登山として親しまれるようになっている。
現在、一般的な登山道は2つあり、曽木公園からのコース(往復約120分)および正福寺からのコースがある。
コース途中には土塁や堀切などが残された細野城址や、珍しい形をした岩が点在するなど、興味深い。

愛知県と岐阜県の県境にある曽良山へ

愛知分県ガイド掲載の山で、豊田市の旧小原村では西山、

土岐市 鶴里では鶴岡山、曽木では曽良山と呼び名が異なります。

曽木公園よりスタートしました(広い駐車場・トイレも完備)

曽木公園

曽木公園内にはもみじやカエデ、イチョウなど約300本の樹木があり、

飛騨・美濃紅葉33選に選ばれる紅葉の名所です。

紅葉シーズンには大小8つの池の周辺がライトアップされ、

木々が水面に映し出されとても幻想的。

鏡のような水面に姿を見せる「逆さもみじ」を見学に多くの人が訪れるそうです。

公園の正面には「バーデンパーク SOGI」という温泉施設があります。

公式サイトはこちら https://www.badenpark.net/

中馬街道(ちゅうまかいどう)

江戸時代前期に信州 伊那谷の農民が農閑期に

自分の馬や牛で荷物を運ぶ賃稼ぎを行っていた旧街道

名古屋から瀬戸、土岐市を経て伊那谷へ続いています

十二 六角石塔

江戸時代のものである。六道に輪廻転生する.亡者を救うためという。寺の須弥壇脇の飾りの.布製の幢幡が6組または8組を合わせた形とし て石造物になったと思われる。

中馬街道散策マップ(裏)

十一 石仏

土岐市曽木町では馬頭観音をはじめ多くの石仏や道祖神が残っています

中馬街道

国道363号に沿って残る「中馬街道曽木地内」は馬頭観音をはじめいくつもの石仏や道祖神に見守られた、江戸時代初期の商業道路です。中馬の名称は、江戸時代前期に信州伊那谷の農民が農閑期に自分の馬や牛で荷物を運ぶ賃稼ぎを行っていたことに由来します。現在は国道363号沿いの整備が進み当時の面影を残す箇所は少なくなってきています。

中馬街道散策マップ(裏)

①曽良山 登山口

曽良山 登山口へ

カラフルな案内板が山頂⑩まで続きます

五十三 山神

霜が降りた棚田

五十四 氏神宮

ここまで中馬街道散策の案内板なども多く

飽きることなく歩くことができました。

②で林道

③木製ベンチ

④分岐から山道へ

かつてはヤブ山だったそうですが、

2014年頃から地元有志により登山道整備がされ初心者でも登りやすい山となりました

⑦広場

⑧尾根へ

御嶽山の展望ポイントより

⑨山頂手前の分岐

山頂手前の分岐、下山は(細野城跡・師岩・正福寺)方面へ下ります

曽良山(鶴岡山 西山)(712.35m)

二等三角点(細野村)

双子岩

双子岩、この辺りから奇岩が点在しています

分岐 一旦、師岩(もろいわ)へ

案内板表記も鶴岡山に変わっています

師岩

師岩より、弘法大師が行脚した際に足跡をつけた伝説があります

細野城跡

細野城跡 土塁や堀切の跡が残ります

築城時期、築城者は定かではないようですが、

戦国時代終わり頃に築かれ麓の中馬街道の監視に当たったと考えられているそうです

堀切・土塁

搦手曲輪

堀切

細野城 概要

細野城は鶴里の集落を望む城ヶ根と呼ばれる標高約640mの緩やかな尾根の中腹に築かれた城。
眼下には尾張と南信を結ぶ中馬街道が通っており物資を運ぶ人々で賑わった。
築城については具体的な資料に乏しいが、天正12年の小牧・長久手の合戦時、あるいは慶長5年の関ヶ原の合戦時に築城されたと考えられる。
関ヶ原の合戦時には、隣の柿野村で東軍妻木勢と西軍田丸勢が戦ったとの記録が残る。
領主については不明であるが、室町期には妻木氏が、江戸期には岩村藩が治めている。

御嶽方面

三国山

アンテナ群で解りやすい三国山(701m)

岐阜県内には同名の山が3座ありますが、ここは旧律令制の「美濃国・尾張国・三河国」の

3国にまたがっていたことに由来します。

山頂には展望台やキャンプ場の他、四国八十八箇所の三国山大権現社殿や石仏群もある。

細野城跡 経由の登山口へ

正福寺

正福寺 師岩からはここへ下るそうです

曽良山 全景

大草遺跡(縄文)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加