讃岐国 一宮 田村神社(たむらじんじゃ)・香川県高松市一宮町




讃岐国 一宮 田村神社(たむらじんじゃ)・香川県高松市一宮町

香川県高松市一宮町に鎮座する讃岐国一宮「田村神社(たむらじんじゃ)

創建は和銅2年(709年)、1300年以上にわたりこの地を守り続けている由緒正しい古社です。

御祭神は、「田村大神(たむらのおおかみ)」と呼び、以下の五柱の神様の総称をいいます。

・倭迹迹日百襲姫命

・五十狭芹彦命 (吉備津彦命)

・猿田彦大神

・天隠山命 (高倉下命)

・天五田根命 (天村雲命)

香川県は雨が少なく、降ったとしてもすぐ海に流れ込む地形のため、

昔から水不足に悩まされてきました。

そんな地域の中で、この田村神社の一帯は湧水地であったため稲作の中心地だったそうです。

そのため「水神様」を祀る自然崇拝がおこったことが、田村神社の始まりと云われています。

現在でも奥殿が深淵の上に建てられているように、水神信仰を基盤とした神社です。

表参道入口

右には文久二年七月建立の社号標「延喜式名神大一宮正一位田村神社」とあります。

左には國幣中社の碑が建っています。

田村神社(たむらじんじゃ)

<通称>一宮さん(いちのみやさん)
【鎮座地】〒761-8084 香川県高松市一宮町286 旧讃岐国 香川郡
【御祭神】倭迹迹日百襲姫命 五十狹芹彦命
(配祀)猿田彦大神 天隱山命 天五田根命
【例祭】5月5日 初夏大祭 5月7日 初夏大祭 5月8日 初夏大祭
【旧社格等】國幣中社(現別表神社)
讃岐國一宮
式内社 讃岐國香川郡 田村神社 名神大
【御由緒】
祭神
倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと),猿田彦大神(さるたひこのおほかみ),天隠山命(あめのかぐやまのみこと),五十狭芹彦命(いさせりひこのみこと)(吉備津彦命(きびつひこのみこと)),天五田根命(あめのいたねのみこと)
以上五柱の神を田村大神と申す
倭迹迹日百襲姫命は人皇第七代孝靈天皇の御皇女にましまし祟神天皇の御代国内疫病に苦しめるを救治し給ひ又武埴安彦(たけはにやすひこ)の謀反を予知して建言し給ひ謀反を未然に防ぐ等数々の勲功あり仍て百襲(襲は勲功の約)の名を負ひ給ふ後吉備津彦命(きびつひこのみこと)と西海鎮定の命を奉じ讃岐路に下り給ひよく鎮撫の偉功を立て当国農業殖産の開祖神となられた 御陵(はか)は大和国城上郡大市村にありこの御陵を作るのに昼は人が作り夜は神が是を作られたと云はれ広大な御陵で箸(はし)の陵(みささぎ)と言はれてゐる
五十狭芹彦命は姫命の御弟に当らせられ又の名を吉備津彦命とも申す 四道将軍の御一方にして西海を鎮定し給ひ吉備国の祖神となられた
猿田彦大神は皇孫瓊々杵尊(ににぎのみこと)御降臨の時天(あめ)の八衢(やちまた)に出迎へて御嚮導をなし道途の安全を守護し給ひし神にして此の神の向ふ所は如何なる禍神も恐れて避け奉ったと云はれ方除の神として神威まことに偉大である
天隠山命は高倉下命(たかくらじのみこと)とも申し神武天皇御東征の砌霊剣を奉って偉功を立て給ひ後御子天五田根命(又の名を天村雲命(あめのむらくものみこと))と共に紀伊国より当国に渡らせられ山河を以て国郡の境界を分つなど開拓水利の基を定められた

皇室武門武将の崇敬
当神社の起源は極めて古く社記によれば元明天皇の和銅二年社殿を創建すとあり往古より田村大社定水(さだみづ)大明神又は一宮大明神とも称し夙に朝野の崇敬浅からず 仁明天皇の嘉祥二年二月従五位下に叙せられ清和天皇の貞観三年二月官社に預り延喜の制名神大社に列し讃岐国の一宮たり以後屡々神階を授けられ建仁元年二月正一位の極位に敍せらる
降って明治四年五月十四日に国幣中社に列せられたり 爾来皇室国家事ある毎に勅使を御差遣あらせらる 古くは弘安七年七月後宇多天皇弘安の役の奉賽として「正一位田村大明神」の勅額を寄せられ明治四年十一月、大正四年十一月、昭和三年十一月の大嘗祭には何れも勅使御差遣あり大正十一年十一月摂政宮殿下大演習御統監の為行啓には亀井侍従を御使として御差遣あり大正十四年十二月十日には北白河宮大妃殿下御参拝昭和九年四月五日閑院宮戴仁親王殿下御参拝同年五月二十二日梨本宮守正王殿下御参拝
昭和二十五年三月四国行幸、同二十八年十月第八回国民体育大会行幸には夫々幣帛料御下賜等皇室の御崇敬洵に厚い
武門の尊崇も亦厚く貞和二年三月管領細川頼之領主たりし時には社域を拡築して一切経を奉納し長禄四年十二月細川勝元社頭に壁書を掲げしめて神事を厳重に掟てなし降って天正年間仙石生駒二氏相次いで此の地を領するに及び夫々社領を寄進したりついで明暦元年三月松平頼重公国守に任ぜらるゝや社殿を修造して更に社領を寄進なし延宝七年に両部習合を廃し五十石の社領中五石五斗を割いて社僧大宝院に寄せ神仏を分離し江戸時代の初期に於て早くも唯一神道の道を開かれた爾来松平家の祈願所として累代社領を寄進し或は家宝を献ずる等その尊崇明治維新に至るまで変ることなかりき
当神社奥殿の床下に深淵あり厚板を以て之を蔽ひ此の殿内には盛夏といへども凄冷の気が満ちてゐて古くより神秘を伝へ今に窺ひ見る者なしこれ定水大明神の称ある所以にして領内に水旱あれは領主奉行は必ず先ず以て当社に祈願したりと云う
(平成祭データ)

随神門

整備された参道の両脇には寄進の鳥居が並び、

突き当たりに瓦葺の随神門があります。

社務所

授与所

田村神社 境内図

田村神社

由緒

当社の起源は極めて古く社記によれば和銅二年(709)に社殿が創建されたとあり往古より「田村大社」「定水大明神」又は「一宮大明神」とも称され、人々より篤く崇敬されてきた。

嘉祥二年(849)従五位下に叙せられ貞観三年(861)官社となり名神大社に列せられ、讃岐國の一宮に定められて後は神階を授けられ建仁元年(1201)正一位の極位に叙せられた。

当社の奥殿の床下には深淵があり、厚板でこれを覆い殿内は盛夏といえども凄冷の気が満ちていて古くから神秘を伝えている。又領内で水旱があれば領主奉行は必ず先ず当社に祈願したといい、定水大明神と称される所以である。

奥殿深淵には龍が棲み、覗いたものは絶命するとされて、開かれたことがない。
古来、讃岐は雨が少なく、古代から溜池が作られてきたが、当社付近は香東川の伏流水が多い地域で、農耕に欠かせない湧き水への信仰が、祭祀につながったと考えられている。

田村神社の出水

讃岐平野のほぼ中央に位置し、東には香東川が流れ地下にはその伏流水が流れており、地域の人々は井堰や出水を作り、生活用水や田畑の灌漑用水として利用するなどその恩恵を受けてきた。

当神社にもそこからの湧き水が三つあったが現在では御神体である淵と、境内東方にある袂井(たもとい)の二つのみである。西方にある花泉(はなのい)は涸れ井となっている。御神体の淵は社殿内にあり当然見ることは出来ない。

社伝によると御神体の淵には龍が住むという龍神伝説がある。
袂井は百襲姫命がこの地に御来臨した時、里人の奉る烏芋(ごや)を食べてにわかに熱病に罹り、渇きをうったえられた時に侍女が袂を浸して水を奉った井といい、今日もなお、稲田灌漑の水源地であることから「田本井」(たもとい)ともいう。
花泉は百襲姫命が御手を洗われた所という。

大鳥居

御鎮座1300年記念事業として平成21年に建立。

田村神社 拝殿

田村神社の創建は創建は和銅二年(709)と伝えられています。

御祭神は「田村大神」

御神座は本殿の背後にある奥殿にあり、御神座の床下には深渕がある異例の設計です。

奥殿には神秘に包まれた竜神伝説が語り継がれています。

入母屋作りの拝殿は明治10年に再建、

本殿・奥殿は春日造り、宝永七年(1710)松平氏の造営。

御祭神

「田村大神(たむらのおおかみ)」 *五柱の神様の総称

・倭迹迹日百襲姫命

・五十狭芹彦命 (吉備津彦命)

・猿田彦大神

・天隠山命 (高倉下命)

・天五田根命 (天村雲命)

倭迹迹日百襲姫命は皇祖第七代孝霊天皇の皇女で崇神天皇の御代に疫病で人々が苦しむのを救い、また武埴安彦の謀反を予知し未然に防ぐなど数々の勲功を上げた事により百襲(襲は勲功の約)の名を負う。

後五十狭芹彦命と西海鎮定の命を奉じて讃岐國に下り農業殖産の開祖神となった。御陵(昼は人が造り夜は神がこれを造ったといわれ箸の陵といわれている)は大和国城上郡大市村(奈良県桜井市箸中)にある。

五十狭芹彦命は倭迹迹日百襲姫命の弟に当たり、四道将軍の一人で西海を鎮定し吉備国の祖神となった。

猿田彦大神は皇孫瓊瓊杵尊降臨のとき天の八衢に出迎えて先導を申し出、道途の安全を守護した神でこの神の向かうところはいかなる禍神も恐れて避け奉ったといわれ方除神として神威まことに偉大である。

天隠山命は皇祖神武天皇の御東征の際、窮地を救った神で後に御子天五田根命と共に紀伊国より当国に渡り山河をもって国郡の境界を分つなど開拓水利の基を定めた。

田村神社 奥殿

奥殿下には竜神伝説が語り継がれています。

それは奥殿の地下10メートル程に眠る「深い淵」には、

龍神様が棲んでいるという伝説があり、田村神社の御神体となっています。

しかもこの淵を見た者には、恐ろしい祟りが起きるといいます。

現在、この龍が棲む淵に近付けるのは宮司のみで、掃除や神事の際に入るだけです。

淵には蓋がされ、沢山の石が古墳のように盛られてあるのだそうです。

大鳥居の右隣に同じくらい立派な鳥居があります。

鳥居の下に田村神社の境内で一番立派な龍である金龍がいるのです。

龍神(金龍)

田村神社のご祭神は龍の姿で顕現なされたといわれ、

この金龍に黄金を供えると長者になるという伝説があるそうです。

高さ約5.7メートルの巨大龍神様のまわりには、

よく見ると沢山の大判・小判が溢れています。

裏に名前を書いて、直接龍神様に奉納することが出来ます。

初穂料は、小判600円・大判1,000円。

宇都伎社

鳥居と金龍の先にあるのは境内社の1社「宇都伎社」

大地主神と倉稲魂神を祀る社で、衣食住の守護や家内安全、生活守護に御利益がある他、

さぬき七福神の布袋尊も祀っています。

宇都伎社の前に姫之宮

金箔 大黒天・布袋尊

右に大黒天、左に布袋尊が置かれて、

「金箔を貼っておかげを頂いてください」とあります。

素婆倶羅社

宇都伎社のさらに右隣には境内末社の「素婆倶羅社(そばくらしゃ)

素婆倶羅社は女性守護の神で、

「少名毘古那神(スクナヒコナノカミ)・大年神(オオトシガミ)・塞神(サイノカミ)・

大水上神(オオミナカミ)・菅原神」の5柱をお祀りしています。

平成14年に再建されました。

拝殿の天井には立体的な花の装飾が綺麗です。

はらみ石

素婆倶羅社の前には「安産子宝犬」と書かれたかわいい犬の像や

「はらみ石」という石があり、子授けや安産に御利益がある縁起物が沢山置かれています。

素婆倶羅社 本殿

天満宮 本殿

素婆倶羅社の更にその右手には学問の神様である菅原道真公を祀る天満宮があります。

嚴島社(宮島社)

境内末社の嚴島社(宮島社)は天満宮の前の池にあります。

芸能の神様として信仰厚く宮島さんと呼ばれ親しまれている。

御祭神は市杵嶋姫命です。

嚴島社の隣には弁財天(別名 顔洗い弁天)

水をかけてお参りすることにより美しさを得られると云います。

海外開拓者殉難之碑(満蒙開拓の碑)

素婆倶羅社の裏には、海外開拓者殉難之碑(満蒙開拓の碑)・海軍少年飛行隊の碑・

一宮地区において、国家のために尊い命を捧げられた方々の忠魂碑が建ちます。

桃太郎伝説の像

田村神社境内には、桃太郎伝承の銅像があります。

犬島・猿王・雉ヶ谷の供を連れた弟の吉備津彦命へ

瀬戸内海の鬼退治を命ずる倭迹迹日百襲姫命

田村大神の一神、五十狭芹彦命は、別名を吉備津彦命(きびつひこのみこと)といいますが、

吉備津彦命は桃太郎のモデルとされる神様で、倭迹迹日百襲姫命の弟にあたります。

千本鳥居と八咫烏

大鳥居

北参道(裏参道)側の大鳥居は昭和55年建立、

境内で最も大きく約17メートルの威容を誇る。

お迎え布袋尊と大楠

北参道(裏参道)側の大鳥居をくぐった先にまずあるのが大楠と黄金の布袋尊像

「お迎え布袋尊」の名で親しまれています。

田村神社会館

御朱印

  • このエントリーをはてなブックマークに追加