高鳥屋山(1398m) 梨子野山(1314m)・長野県下伊那郡阿智村
長野県下伊那郡阿智村の選定した阿智セブンサミットの1座、
高鳥屋山(たかどやさん)へ行ってきました。
手間にある梨子峠は江戸時代末より清内路街道(伊那街道)と呼ばれ、
幕末には水戸浪士が通過したといわれる歴史の峠道
長野県無形文化財「下清内路の手作り花火」が奉納される
下清内路諏訪神社より周回してきました。
高鳥屋山(たかどやさん)
標高 1398m | 登山日 2019年8月10日 |
山頂から南アルプスと伊那谷を一望 | |
所在地 長野県下伊那郡阿智村清内路下清内路 |
梨子野山(なしのやま)
標高 1314.6m | 登山日 2019年8月10日 |
古くは水戸浪士が通過した清内路街道 梨子野峠のピーク | |
所在地 長野県下伊那郡阿智村駒場 |
難易度 ★ オススメ ★★ | 登山口(ナビ検索) 下清内路諏訪神社 |
梨子野山登山口(清内路)(07:54)→梨子野峠(08:34)→松沢コース分岐(09:09)→高鳥屋山(09:31)→分岐(山本大明神)(09:36)→高鳥屋山(09:41)→松沢コース分岐(09:59)→松沢コース登山口(10:25)→ゴール地点(10:47) 所要時間 2時間57分 高低差 621m 累積標高 787m / 785m 距離 10.6tm | |
■高鳥屋山は、長野県下伊那郡阿智村清内路と飯田市山本の境に位置する標高1398mの阿智セブンサミットの山です。 ■古くは水戸浪士が通過したといわれる清内路街道より梨子野峠を経由して、山頂を目指す。国道256号線の清内路より入山し、約3時間で山頂に到着する。 登山道入口の目印は、毎年秋に手作り花火が奉納される下清内路諏訪神社から観音山公園、西へと進む。 ■長野県にある山で、坊主ヶ城、狼火台とも言われる山。戦国時代には山城が築かれ、織田・徳川連合軍による武田攻めで利用されたとされる。登山には、古くは水戸浪士が通過したといわれる清内路街道より梨子野峠を経由して山頂を目指すのが良い。登山道入口の目印は、毎年秋に手作り花火が奉納される下清内路諏訪神社から観音山公園を西へと進む。 ■ー |
下清内路諏訪神社
下清内路諏訪神社より
綺麗なトイレがあります
清内路関所跡の碑
清内街道(伊那街道)を梨子野峠を目指します
清内路関所の変遷
関所設置の時期については、「伊那郡郷村鑑」に来ノ地士原氏代々居住、永正年中(1504~20)原伝左衛門ハ下条家ヘ属ス。当御関所ハ弘治年中(1555~57)甲州武田晴信当国迄手ニ握リ、当所并浪合・和合・市瀬四ヶ所に関ヲ据給フ。当御関所此此ハ蘭ノ上ノ山(清内路峠)ニ建ツ。故ニ蘭ノ関ト云」とあり、和合と帯川と心川に分ち、小野川を加え六関とする説もある。創設された関所は武田晴信(信玄)より下条信氏が預かり、取締りは清内路在住の原伝左衛門が当たった。最初の関所は清内路峠(木曽峠)の近くにあり、徳川幕府の基礎がようやく確立した慶長6(1601)年に、上清内路と下清内路の中間、国道256号線からニワトリ渕を隔てた対岸バンヤ沢に一時移転した。しばらくして現在地市場に敷地120坪、建物約40坪の関所が設置された。清内路関所は「諸国御関所改方写」によると、一、武具・女・前髪これ有る者・坊主・手負い右品々ハ領主或ハ御代官より先達で断証文これを取り、領主・役人ハ書替証文を以て相通し候。一、夜中一切相通さず候」とあり、明六つ(午前6時)に開門、暮六つ(午後6時)に門は閉鎖され、夜の通行は禁止となっていた。
高鳥屋山 登山道入口
林道終着点から登山道へ
清内路街道 中休み
梨野峠
梨野峠と信長公記に記されているこの峠道は弘治2年(1559年)に始まり、戦国時代末より伊那街道・清内街道と呼ばれていた。江戸時代には巡検視界街道として幕末には水戸浪士や赤報隊が通過するなど歴史の峠道であった。
馬頭観音太士
緩やかなアップダウンの道が続く
梨子野山(1314m)
分岐を高鳥屋山 方面へ
高鳥屋山(1398m)山頂
三等三角点
高鳥屋山
別名 坊主ヶ城、狼煙台とも言われ南アルプスの山々と伊那谷要所が一望できる。標高1398mこの山は、中世の山城や織田・徳川連合軍の武田氏攻略に利用されたと伝えられいる。
坊主ヶ城 山頂小屋
伊那谷の展望
元来た道を下山
分岐まで戻り松沢集落へ
カモシカと遭遇
沢を越え松沢集落へ
国道256号沿いより、
中央には同じ阿智セブンサミットの一座 網掛山
下清内路諏訪神社宮前の家並
下清内路諏訪神社から診療所までの道とその両側には
明治時代以降の本棟造りの家が並び古い面影を残す。