筑波山(877m)・御幸ヶ原コース〜白雲橋コース

日本百名山のなかでは最も低い山として知られる
茨城県の名山「筑波山(つくばさん)」に登って来ました。
男体山と女体山からなる双耳峰で、中腹には筑波山神社の拝殿、
双方の山頂には筑波山神社の本殿があります。
筑波山の参拝道「つくば道」の六丁目鳥居がある「市営 筑波山麓筑波駐車場」より、
ケーブルカーに沿ってスギの大木が連なる表参道「御幸ヶ原コース」を登り、
女体山からは奇岩の連なる「白雲橋コース」と周回しました。
筑波山(男体山)
| 標高 871m | 登山日 2024年10月4日 |
| 日本百名山 | |
| 所在地 茨城県つくば市筑波 | |
筑波山(女体山)
| 標高 877m | 登山日 2024年10月4日 |
| 日本百名山 一等三角点(筑波山) | |
| 所在地 茨城県つくば市筑波 | |
| 難易度 ★ オススメ ★★★ | 登山口(ナビ検索)市営 筑波山麓筑波駐車場 |
| 筑波山神社一の鳥居(4:07)→筑波山神社(4:23)→宮脇駅(4:29)→中ノ茶屋跡四阿(4:58)→男女川解説板(5:15)→御幸ヶ原(5:38)→筑波男体山(5:51)→御幸ヶ原(6:00)→せきれい茶屋(6:07)→筑波山(6:16)→弁慶茶屋跡(6:42)→迎場分岐(7:23)→白雲橋登山口(7:28)→筑波山神社(7:34)→つくば市市営第三駐車場(7:48)→筑波山神社一の鳥居(8:05) 所要時間 3時間56分 累積標高 864m / 865m 距離 8.2m | |
| ■筑波山(つくばさん)は、日本の関東地方東部、茨城県つくば市北端にある標高877 m(メートル)の山。筑波山神社の境内地で西側の男体山(標高871 m)と東側の女体山(標高877 m)からなる。雅称は紫峰(しほう)。筑波嶺(つくばね)とも言い、茨城県のシンボルの一つとされている。富士山と対比して「西の富士、東の筑波」と称される。茨城県の県西地方からの眺めが美しいとされる。全域が水郷筑波国定公園に指定された保護エリアであり、中腹から山頂付近は特別保護地区(自然公園法)に指定され筑波山神社境内地となっており、古くから樹木および木竹以外の植物の損傷・植栽、動植物の捕獲・採取等が禁じられてきたほか、火器の無許可使用、リード無しのペット散歩等の行為も禁止されている。『万葉集』にも詠まれ、日本百名山、日本百景の一つとされる。百名山では最も標高が低く、開聞岳(標高924 m)とともに1000 m未満の山である。独立峰にみえるが、実際には八溝山地最南端の筑波山塊に位置する。火山と誤解されることもあるが、実際には火山ではなく、隆起した深成岩(花崗岩)が風雨で削られて形成されたとされる。なお、山頂部分は斑れい岩からなる。高さは長らく三角点の標高である876 mとされていたが、1999年に最高点の877 mに変更された。
筑波山は石岡市および桜川市にもまたがる。男体山・女体山山頂には筑波山神社の本殿があり、山腹には拝殿がある。『常陸国風土記』には筑波山の神が登場する。筑波山神社拝殿には坂東三十三観音25番札所の筑波山大御堂(中禅寺)が隣接する。筑波山は、ガマの油売りの口上などでも知られる。山中には巨石、奇石、名石が数多く散在し、それぞれに名前がつけられ、多くの伝説を生み、それらに対する信仰が今日でも受け継がれ、山そのものが「神域」として崇められている。筑波神社境内社や随神門など、県や市の指定文化財となっているものが多数存在する。開山以来、「結界」が張られており、荒れた時代もあったが、現在でも「霊山」であり山の万物が「神体」とされている。「夜間は男体・女体の神々が御幸ヶ原に出現する」ため「二人の遊楽を妨げてはならず入山しない」とする文化がある。 関東平野を一望するロケーションの良さからアマチュア無線用中継局・筑波山レピータもある。関東平野の北東部にあることと、同平野では希有な独立峰的な山であることから、気象観測や無線通信の上でも重要な拠点とされ、山頂付近には数多くのアンテナが存在する。1893年に山頂付近で気象観測を開始した後に筑波山測候所が置かれ、2006年からは筑波大学による筑波山気象観測ステーション(2016年に筑波山神社・筑波大学計算科学研究センター共同気象観測所へ改称)として男体山頂にて観測を行っている。 筑波山からは富士山の美しい景観を眺められるため、2005年に関東の富士見百景に選定された。2007年、日本の地質百選に選定。 |
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「市営 筑波山麓筑波駐車場」よりスタート、
ここには7台程度の駐車スペースがあります(駐車無料)
またこの駐車場のすぐ手前には、筑波六丁目・一の鳥居が建っており、
もともとはここから上を神域とされたそうです。
一の鳥居
つくば道にある鳥居。南表大神門。筑波6丁目大鳥居。もともとはここから上が神域とされた。 現在の鳥居は、1759(宝暦9)年の再建。 1761(宝暦11)年正月、「天地開闢 筑波神社」の勅額を幕府に要請。 当時の後桜町天皇が幼少のため、嵯峨大覚寺門跡寛深法親王の筆による扁額が、 1763(宝暦13)年11月、掲げられた。 同じく鳥居脇には「筑波の一王」と呼ばれる金剛蜜迹の銅像があったという。 御座替祭では、この鳥居のところに御神輿の御仮屋が建てられ、神幸祭がスタートする。 笠木と島木にそりがない八幡鳥居と呼ばれる。 筑波山神社の鳥居で現存する最も古い鳥居とみられる。
つくば道
古くからの参道「つくば道」は「日本の道100選」にも選ばれている古道で、
徳川三代将軍・家光の時代に筑波山の参詣道として開かれた道です。
つくば市北条を起点として拝殿に至る道で、
現在は茨城県道139号筑波山公園線が踏襲します。

筑波山神社まで急坂が続く、
登り途中に振り返れば、眼下に田園風景が広がります。
旧筑波山郵便局
階段の途中には、「旧筑波山郵便局」のレトロな建物が見られます。
旧筑波山郵便局は、昭和14年9月につくば道沿いに建築され、
昭和50年に郵便局を引退しました。
春と秋に建物の中が限定公開され、ここから手紙を送ることができます。
大鳥居
参道にある朱塗りの大鳥居は1979(昭和54)年8月1日建立されました。
「筑波山(神社)」のシンボルともなっており、麓からも見える巨大さが特徴です。
「柱間15m、全高17m、笠木25m、柱径1.5m」

石鳥居と紫峰牛碑
「つくば道」終点の先、御神橋の手前にある「石鳥居」は、
1946(昭和21)年11月、奉納により建立されたものです。
鳥居の前には、2014(平成26)年12月建立された、
筑波山周辺で飼育されている国産黒毛和牛「紫峰牛」の碑があります。
なで牛の役割も持つといいます。
御神橋
御神橋
茨城県指定文化財。切妻造柿葺屋根付。間口1間、奥行4間。通常は渡れない。 春と秋の御座替祭(4月1日、11月1日)、年越祭(2月10・11日)のときのみ参拝者は渡ることが出来る。 江戸時代、1633(寛永10)年11月、3代将軍徳川家光公の寄進で造られ、1702(元禄15)年6月には、5代将軍徳川綱吉公によって改修されている。 安土桃山時代の様式をなす荘厳な造り。 なお、御神橋の手前右側に、旧筑波町(つくば市に合併して消滅した筑波町ではなく、その筑波町になる以前に存在した筑波町)の道路元標がある。
参道階段
山の斜面に造られているため、参道に階段が多いです。
御神橋と拝殿の間の参道は、急勾配の石の階段になっています。
御座替祭では、この階段を神輿を担いで駆け上がり、祭り最後の見せ場となります。
階段の先にある「随神門」には倭建命と豊木入日子命の2人の神様がいらっしゃいます。
随神門
随神門
つくば市指定文化財。間口5間2尺、奥行3間の八脚楼門。 1633(寛永10)年家光公によって寄進されたが、その後2度に渡って焼失、現在の門は1811(文化8)年の建立。 左側に倭健命(やまとたけるのみこと)、右側に豊木入日子命(とよきいりひこのみこと)の像が、参拝者ににらみをきかせる。
もともと仁王門だったが、神社となったことで名称を変えた。また、門にあった仁王像は、つくば市内の東福寺に移されている。豊木入日子命
筑波山に縁の深い古代武人の一人で第10代崇神天皇の皇子。皇子は長くこの地を治めたと伝えられている。
倭健命
筑波山に縁の深い古代武人の一人で第12代景行天皇の皇子。3種の神器の一つ「あめのむらくもの剣」を持って東征に赴き筑波山に登拝した。 また、東征の帰路、倭健命が甲斐国酒折で「新治筑波(にいばりつくば)を過ぎて幾夜か寝つる」との問いかけに、 火守翁が「日々(かが)なべて夜には九夜日には十日を」と答えたのが連歌の始まりとされる。 この故事により、連歌道を筑波の道といい、連歌集に「莵玖波集」(つくばしゅう)などの名がつけられた。
筑波山神社拝殿
隋神門を抜けた石段の先を上がると筑波山神社の拝殿が建ちます。
筑波山神社の祭神は、筑波男大神(イザナギ)と筑波女大神(イザナミ)の二柱です。
この本社は拝殿だけで、奥の御扉から山頂の両殿を遥拝するという
古い山岳信仰の特徴を持っています。

拝殿を左手に進み、石段を右に折れながら登って行くと、
ケーブルカー乗り場「宮脇駅」があります。
その横から続く登山道、表参道の「御幸ヶ原コース」が続きます。
行きはこのルートで登りましたが、悪天候のため写真はありません。
御幸ヶ原
御幸ヶ原コースを登り、御幸ヶ原まで着きましたが、この日はガスで真っ白です。
御幸ヶ原は女体山と男体山の山頂を結ぶ山頂連絡路、茶屋や売店が立ち並びます。
先に男体山に登ります。
筑波山 西峯 男体山頂(871m)

筑波山神社男体山本殿
筑波山の西峯、男体山頂(871m)に鎮座する「筑波山神社 男体山御本殿」
御祭神 筑波男大神(伊弉諾尊)
筑波山頂駅
再び、御幸ヶ原まで戻って来ました。
御幸ヶ原の筑波山頂駅からはケーブルカー、
女体山駅からはロープウェイがそれぞれ運行しています。
「筑波山ケーブルカー」
宮脇駅(305m)から筑波山頂駅(800m)間1634m、を約8分で結んでいます。
(片道590円・往復1070円)
「筑波山ロープウェイ」
つつじヶ丘駅と女体山駅を結ぶ全長1296m・高低差298m を所要時間6分で運行します。
(片道750円 ・往復1300円)
筑波山山頂部地図
せきれい茶屋
筑波山の山頂近く、女体山から男体山から女体山への山頂連絡路沿いにある茶屋です。
晴れていれば、店外にもテーブルが置かれ、席数も多いそうです。
お土産物としてガマの油やカエルの置物、ピンバッチなども売っています。
諏訪神社
「せきれい茶屋」前の岩の上には、筑波山神社の境内社「諏訪神社」があります。
奇岩で有名な筑波山ですが、この辺りから沢山出てきます。
せきれい石
「セキレイ石(せきれいいし)」この石の上に鶺鴒(せきれい)が留まり、
男女の道を教えたといわれます。
ガマ石
この不思議な形の石は、江戸時代には、「竜石」と言われていたとされています。
口の中に石を投げ込むと金運があがると言われています。
また、筑波山といえばガマの油売りの口上ですが、 この場所で考え出したと伝わります。
筑波山神社女体山本殿
筑波山の東峯、女体山頂(877m)に鎮座する「筑波山神社 女体山御本殿」
御祭神 筑波女大神(伊弉冊尊)
社殿の背後には、伊弉諾尊と伊弉冊尊の両神が降臨したとされる「天浮橋」が掛かります。
天浮橋
天浮橋(あめのうきはし)
天浮橋は、日本神話によると、天上界と地上をつなぐ橋で、イザナギ、イザナミの両神が降臨したところとされる。 筑波山の天浮橋は、女体山山頂、筑波山神社女体山本殿裏にある。幅1m、長さ3m余りの木製の橋で、女体山頂上風景の象徴となっている。
2009(平成21)年4月20日、新しく橋が架け替えられ、28年ぶりに通行可能となった。これまで、1956(昭和31)年に架けられた橋があったが、老朽化のため、1981(昭和56)年から通行止めとなっていた。 筑波山にいつごろからあるかは不明だが、筑波山神社に1702(元禄15)年の橋の欄干の擬宝珠(ぎぼし)が残されており、少なくとも300年前に存在していたらしい。
山頂からこの橋を渡って降りると、登山道の白雲橋コース下山口と女体山神社登り口前に戻る分岐がある。
筑波山 東峯・女体山頂(877m・一等三角点(筑波山)

江戸城鎮護の霊山
徳川家康は、江戸城に入城の際、東北にそびえる筑波山を江戸城鎮護の霊山とし、知足院中禅寺を再興して将軍家の御祈願所とした。 現在の筑波山神社拝殿の場所に本殿があった。当時は神仏混合で祀られることが多く、筑波山も筑波山神社と中禅寺は、明確に区分されていなかったようである。
なお、これは他の場所でも同じで、栃木県・日光の2社1寺も、江戸時代以前は神社、霊廟等含めて日光山と呼ばれ、現在のように分離されたのは明治時代になってからである。
徳川家康が筑波山神領500石を寄進したほか、2代将軍・秀忠、そして3代将軍・家光が、春日神社、日枝神社などを造営寄進。 徳川家の威信を示すような大規模な伽藍となった。 5代将軍・綱吉は知足院を護持院に、そして1000石を加増した。また、江戸時代の筑波山神領は、伊勢、日光の両神領とともに、国役金免除されるなど、筑波山がいかに大切にされていたかが分かる。
しかし明治時代に入ると、廃仏毀釈によって、筑波山では護持院が廃止された。 護持院はその後再興され、筑波山神社拝殿の隣、筑波山大御堂となっている。
大仏岩
下山は白雲橋コースより、
奇岩・怪石が点在していることで有名なルートです。
北斗岩
天にそびえ立つ岩で、天空輝く北斗星のように決して動かない事を意味しているそうです。
岩の下には筑波山神社の摂社「小原木神社」が祀られています。
小原木神社
「小原木神社」の御祭神は月読尊です。
筑波山神社の摂社は、「安座常神社」「小原木神社」「渡神社」「稲村神社」の4柱をいい、
これに男体山の「筑波男大神」、女体山の「筑波女大神」の2柱を加え、
6柱を祀ったのが六所神社とされます。
渡神社
筑波山神社の摂社「渡神社」、御祭神は蛭児命を祀ります。
裏面大黒岩の近くに建ちます。
出船入船
船の神様である「船玉神」を祀っています。
石の形が独先と船尾が並んでいるように見えるため、出船入船と呼ばれています。
母の胎内くぐり
「母の胎内くぐり」は、筑波山禅定の行場の一つ、
岩を抜ける事で、生まれた姿に立ち返る事を意味するそうです。
稲村神社
「稲村神社」高天原の上部にある筑波山神社の摂社です。
御祭神として天照大神(あまてらすおおみかみ)を祀ります。
弁慶七戻り
筑波山にある奇岩の中で、最も有名な「弁慶七戻り」ですが、
古くは「石門」といわれ、聖と俗を分ける門と考えられていたそうです。
頭上の岩が今にも落ちて来そうで、弁慶も七戻りしたと言われています。
聖天神社
つつじヶ丘駅方面からの「おたつ石コース」との合流地点でもある「弁慶茶屋跡」
弁慶茶屋跡の横には「聖天神社」が祀られています。
聖天神社
聖天宮(しょうてんぐう)。元は弁慶七戻りの下方にあった。弁慶七戻り廃寺。その歴史は室町時代にまでさかのぼるという。 筑波山中善寺の奥之院の役割もあったとされる。
現在は、白雲橋コースとおたつ石コースが合流する弁慶茶屋跡に小さな祠が祀られている。 聖天は歓喜天ともいい、縁結び、男女和合に御利益があるとして信仰を集めている。
白蛇弁天
白蛇弁天は、「白雲橋コース」の途中の登山道沿いに祀られています。
白い蛇が住み、見た者は財を成すと言われています。
酒迎場分岐
(右)迎場コース・(左)白雲橋コースの分岐点
女体山参道石鳥居
「女体山本殿参道入り口(登山道白雲橋コース入り口)」にある石鳥居です。
筑波山神社から一般道路から登山道入り口の境界に建ちます。
筑波山千寺川砂防堰堤群
白雲橋のすぐ上流に筑波山千寺川砂防堰堤群があります。
古通寺が流された昭和13年の豪雨を機に、
茨城県において最初の砂防事業として整備されたそうです。
千寺川の上流までこのような石積みの砂防堰堤が24基あります。
当時の土木技術を後世に伝える貴重な構造物と評価され、
平成23年度土木学会選奨土木遺産に認定されました。
愛宕山神社・八幡神社
筑波山神社拝殿の東、登山道や白雲橋近くに、
愛宕神社(左)と八幡神社(右)が祀られています。
楠木正勝の墓
筑波山神社拝殿東、登山道・白雲橋近くにある「六角石造宝幢」は楠木正勝の墓とされます。
正勝は、楠木正成の孫で、南朝の忠臣。虚無僧の祖ともいわれます。
正勝は、白雲橋近くにあった古通寺(普化宗)に来ていたといわれる。
古通寺は、1938(昭和13)年の千手沢の山津波で流されてしまいました。
日枝神社春日神社拝殿
日枝神社春日神社拝殿
日枝神社、春日神社両本殿の前にあるのが両社共有の拝殿。入母屋造で両本殿と同じく1633(寛永10)年、3代将軍徳川家光公の寄進による。 茨城県指定文化財。拝殿内には常陸七福神の恵比寿神が祀られている。
左 春日神社本殿 右 日枝神社本殿
春日神社
筑波山神社拝殿の向かって右側にある。手前に春日神社、日枝神社共有の拝殿、その奥に春日神社本殿と日枝神社本殿が並んである。 向かって左にあるのが春日神社。 本殿は三間社流造、1633(寛永10)年、3代将軍徳川家光公の寄進で造られた。茨城県指定文化財。 祭神は、武甕槌神(たけいかずちのかみ)、経津主神(ふつぬしかみ)、天兒屋根神(あめのこやねのかみ)。日枝神社
日枝神社本殿は春日神社本殿と同じ構造の三間社流造。春日神社本殿と同じく1633(寛永10)年、3代将軍徳川家光公の寄進で造られた。 茨城県指定文化財。本殿の蛙股に三猿が彫られている(下記参照)。 祭神は、大山咋神(おおやまくいのかみ)。 知足院中禅寺を開基した僧・徳一は、藤原仲麻呂=恵美押勝=の子と伝えられ、その鎮守社として藤原氏に縁の深い春日、日枝の両神社を勧請したという。 なお、両社は社殿が朱色に塗られていることから赤宮とも呼ばれる。
筑波山神社拝殿
筑波山神社について
古代より山岳信仰の対象とされてきた筑波山を境内(標高270m以上約370ha)とし、 男体山頂に筑波男大神=つくばおのおおかみ(伊弉諾尊=イザナギノミコト)を、 女体山頂に筑波女大神=つくばめのおおかみ(伊弉冉尊=イザナミノミコト)を祀る本殿が建てられ、 筑波山南面の中腹に拝殿がある。 筑波山がいつごろ創建されたかは不明だが「天地開闢(てんちかいびゃく)」以来、自然とあがめられるようになったとする。 いわゆる、境内地自体(筑波山自体)を御神体とする筑波山信仰に端を発し、信仰の山を祀ったものとされる。 もともと筑波男大神、筑波女大神として祀られていたが、その後大和朝廷の力が及ぶに至り、日本神話と融合し祭神が伝えられたと考えられる。
782(延暦元)年に法相宗の学僧・徳一(とくいつ)が、筑波山知足院中禅寺を開く。筑波山の御威光を借りて仏教を広めようと考えたと見られる。 それ以降、明治の廃仏毀釈まで、筑波山神社のなかに仏教寺院がある神仏習合の形で、神と仏をともに祀った時代が長く続いた。
筑波山神社の現在の拝殿の場所には、中禅寺の本堂(大御堂)が、その脇には三重塔、現在の随神門は仁王門と呼ばれ、その近くには鐘楼もあった。 このほか、薬師堂、経堂、聖徳太子堂などを持つ、大伽藍だった。多くは江戸時代、徳川家の庇護の下、建立されたもの。
筑波山神社が現在の形になったのは明治以降。本堂が取り壊され、その跡に拝殿が建てられたほか、三重塔はじめ多くの仏教施設が壊され、仏教色が一掃された。 なお、鐘楼はつくば市内の慶龍寺に移され今でも見ることが出来る。同じく仁王像もつくば市内の東福寺に移されている。 このほか、多くの仏具もゆかりの寺院に移され難を逃れた。
御利益は、祭神の二神が結婚して神々を産み、国を造っていったという神話から、縁結び、夫婦和合、家内安全、子授け、子育てなどにご神徳がある。 また、国を造ったという事から、社運隆昌、職場安全、工事安全、五穀豊作、商売繁盛などにもご神徳があるという。 このほか、導きの神としても信仰されている。これは、筑波山が平野のなかにあり遠くから望むことが出来るため、古来より、道しるべとなってきた。 さらに、鹿島灘で操業する漁師さんたちも筑波山を目印にしていたという。このため、交通安全、旅行安全などに御利益があるとされる。
平安時代にまとめられた、延喜式神名帳に記載のある式内社で、筑波男大神は名神大社、筑波女大神は小社に列せられている。 明治時代の近代社格制度では県社。現在は、神社本庁の別表神社。
毎年の初詣には3が日で20万人以上の参拝者が訪れる茨城県内でも人気の神社。

筑波山神社
筑波山神社(つくばさんじんじゃ)は、茨城県つくば市筑波にある神社。式内社(名神大社1座、小社1座)。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。
関東平野北東部、茨城県南西にそびえる筑波山を神体山として祀る神社であり、主要社殿は次の3箇所に形成されている。
- 男体山本殿 – 西峰頂上(男体山<なんたいさん>、標高871メートル)
- 女体山本殿 – 東峰頂上(女体山<にょたいさん>、標高877メートル)
- 拝殿 – 山腹(標高270メートル)。両本殿を遥拝する。
筑波山は西峰・東峰からなる双耳峰であり、筑波山神社本殿はその両山頂に1棟ずつ鎮座している。境内は広大で、筑波山南面の海抜270メートルの線(拝殿)以上を社地とし、その面積はおよそ354ヘクタールにも及ぶ。
南面中腹にある拝殿周辺には、門前町が形成されている。一般に「筑波山神社」という場合は、この拝殿周辺を指すことが多い。拝殿の西には筑波観光鉄道の筑波山ケーブルカーの宮脇駅があるほか、登山口も設けられており、参拝客のみならず登山客によっても賑わいを見せている。
筑波山は『常陸国風土記』に見える頃より神の山として信仰が深く、その神霊を祀る筑波山神社は公家・武家から崇敬が深い神社であった。また文化財では、太刀(銘吉宗)が国の重要文化財に指定されているほか、社殿数棟が茨城県・つくば市指定有形文化財に指定されている。

筑波山神社を後に、来た道を戻ります。
少し寄り道をし、「筑波山大御堂」に立ち寄りました。
筑波山大御堂
筑波山神社の西にある、「筑波山大御堂」は真言宗豊山派の寺院です。
山号は筑波山、本尊は十一面千手観世音菩薩、坂東三十三観音第25番札所となっています。
筑波山神社と神仏習合により信仰されていましたが、
明治初年の神仏分離によりいったん廃寺となりますが、1930年(昭和5年)に再興され、
護国寺の別院となります。
本堂はまだ新しく、2020年(令和2年)2月に完成したばかりです。
大御堂より
「つくば道」を山麓筑波駐車場まで戻り終了です。

