第13代 成務天皇(狹城盾列池後陵)・奈良県奈良市山陵町




第13代 成務天皇(狹城盾列池後陵)・奈良県奈良市山陵町

奈良県奈良市山陵町

第13代 成務天皇(せいむてんのう)「日本書紀では稚足彦天皇」

狹城盾列池後陵(さきのたたなみのいけじりのみささぎ)

遺跡名「佐紀石塚山古墳」、墳丘長218メートルの前方後円墳です。

国・郡(こおり)・県(あがた)・邑(むら)を定め、

国造(くにのみやつこ)・県主(あがたぬし)・稲置(いなき)などを置き、

日本で初めて行政区画を定めたとされている。

実在説もあるが、通説では実在性の低い天皇の一人に挙げられる

また、考古学的に見ても実在した証拠はない

第13代 成務天皇

別名 稚足彦天皇・稚足彦尊・若帯日子天皇

誕生 景行天皇14年

崩御 成務天皇60年 107歳

在位 成務天皇元年1月5日 – 同60年6月11日

続柄 (父)景行天皇(母)八坂入媛命

成務天皇の事績としてはほとんど伝えられていない。
成務三年に武内宿禰を大臣(おおおみ)にしたこと、諸国を国・郡・県・邑という行政区画にしてそれぞれ長を置いたという事績が伝えられているのみである。
なお、武内宿禰を大臣にしたとあるが、この時をもって「大臣の始まり」といわれている。
宮は志賀高穴穂宮で大津市坂本穴太町付近とされている。
在位60年。
107歳で没したといわれている。

生没年不詳。記紀によれば第13代の天皇。4世紀中ごろの在位となるが明らかでない。稚足彦(わかたらしひこ)天皇ともいう。景行(けいこう)天皇の第4子。母は八坂入媛(やさかいりひめ)。近江(おうみ)の志賀高穴穂(しがたかあなほ)宮(大津市)に都した。穂積(ほづみ)氏らの祖、建忍山垂根(たけおしやまたりね)の女(むすめ)、弟財郎女(おとたからのいらつめ)を妃とする。武内宿禰(たけしうちのすくね)を大臣(おおおみ)とし、国々の境や道路に従って国、県(あがた)、邑里(むら)を分かち定め、国造(くにのみやつこ)、県主(あがたぬし)、稲置(いなぎ)を置いたと伝えられる。『日本書紀』には治世60年、107歳で没したとあるが、『古事記』では95歳とある。大和(やまと)の狭城盾列(さきのたたなみ)陵(奈良市山陵(みささぎ)町)に葬る。

成務天皇(狹城盾列池後陵)

代数
第13代
天皇名
成務天皇(せいむてんのう)
御父
景行天皇
御母
皇后八坂入媛命
御陵名

狹城盾列池後陵(さきのたたなみのいけじりのみささぎ)
陵形
前方後円
所在地
奈良県奈良市山陵町

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