鳳来寺(ほうらいじ)
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https://ja.wikipedia.org/wiki/鳳来寺
麓、門谷の表参道から鳳来寺山山頂と巡り、
鳳来山東照宮経由で鳳来寺の本堂へ
鳳来寺山
真言宗五智教団の本山。古来峯の薬師と呼ばれ、
薬師信仰と山岳修験の山として信仰を集めた。
1300年前開祖は利修仙人。文武天皇の病気を治し鳳来寺に伽藍を建立することを許された。
鎌倉時代には源頼朝が宿坊などを再建した。
徳川家光によって慶安4(1651)年に建立された仁王門は国の重要文化財です。麓から1425段の石段が続く長い鳳来寺の参道には、樹齢800年、
現存するものとしては日本一となる高さ60mを誇る傘杉などの見どころがあり、
石段を上るごとに広がりを見せる奥三河の自然の風景は癒し効果絶大。
また、紅葉の名所として名高い「鳳来寺山」は、“声の仏法僧”とも呼ばれる
愛知県の県鳥コノハズクが棲息していることでも知られています。
山全体が国の名勝・天然記念物に指定されている自然の宝庫。
麓 門谷の門前町
この辺は硯(すずり)の産地とのこと。
旅館や飲食店、ギャラリーが立ち並び良い雰囲気です。
山道石段の入口には鳳凰の像
利修仙人による開山の話、もはや神話の領域
鳳来寺と利修仙人
利修仙人は、山城国に生まれ、現在の峰(鳳来地区)に移り住み、
霊木7本杉の1本から鳳来寺本尊となる峯薬師如来をつくりました。
その後、百済の国で仙術や仏教を学び、鳳凰に乗って帰国し
鳳来寺山中に3匹の鬼を従えて住んでいたといわれています。
文武天皇が病にかかられたときには、鳳凰に乗って都に行き、
祈祷によって天皇のご病気を治したため、
大宝3年(703年)に天皇からお礼に寺を立てられ、
この寺を鳳来寺と命名し鳳来寺が誕生したとされています。
新城市観光協会より
入口の紅葉は散ってしまっているが、赤い絨毯みたいで素敵です
ここから日本で三番目に長い?と言われる
1425段の石段が始まります。
仁王門(におうもん)
鳳来寺の表参道二丁目に楼門があります。
両側に仁王像が立っているので仁王門とも言い、また山門とも呼びます。
この仁王門は徳川三代将軍家光の寄進によって、本堂と共に建築されたものです。
三間一戸の重層式入母屋造りで、鋼板葺(元槍皮葺)朱塗り、
けやき材で建築されています。二階には勾欄(こうらん)をめぐらし、
前面のかえる股には竹に虎、裏面のかえる股には牡丹に唐獅子の彫刻がされ、
いずれも色彩が施してあります。
新城市観光協会より
三代将軍、徳川家光によって慶安4(1651)年に建立された
仁王門は国の重要文化財に指定されています。
家光の頃には幕府の財政・影響力共に増し
各地の施設なとが次々と作られたそうです。
その昔、山道途中には数多くの宿坊が軒を連ねるおりましたが
現存するのは松高院と医王院のみ、後は宿坊跡としてのみ残ります。
明治以前までは沢山の僧がこの地で修行に明け暮れたそう
久しぶりの登山のためか1425段かなりキツイです。
ようやく本堂が見えてきました。
本堂へ参拝する前に奥の院を目指します
鳳来寺山は1400万年前の火山の名残 流紋岩などでで出来ていて
ゴツゴツとした大きな岩肌を登って行く感じは修験道のイメージそのものです。
江戸時代には東照宮が創祀されたこともあり
幕府の加護を受け、近くの秋葉詣と共に多いに栄えたそうです。
奥の院へ行ってビックリ、建物は倒壊していました。
明治の廃仏毀釈後、鳳来寺は衰勢して行きます。
その後、山頂を経由し鳳来山東照宮へ