堤城跡・春日神社(春日城跡)・静岡県菊川市下平川
堤城跡 登城口
立て札や案内板がありこちらは整備された城跡です。
両城の間を塩の道の近道が通っていたとの記録もあります。
堤城跡
堤城跡は菊川市下平川城山の地に鎮座します。
周辺域を含め発掘調査が行われていないため、築城・廃城ともに正確な年代は不明です。
牧之原台地から西に派生する尾根の先端部を利用して築かれ、現在は尾根上に曲輪と考えられる平場がいくつか見られます。
城を尾根から切り離す東端の堀切は、後世にさらに削られ、相良(秋葉)街道として利用されたようです。
堤城跡の名は戦国時代の資料には見られませんが、「遠江国風土記伝」には城跡の図とともに、「堤ノ城跡 平川村に在り、松井左衛門亮住し、天正以後廃る」と記されています。
図では城の南東、現在の墓地のところを松井屋敷跡としています。
城主 松井左衛門尉信薫夫妻の供養塔
2郭 天満天神宮
1郭 津島神社・八幡神社
富士山見晴らし台より
堤城跡
牛渕川にかかる城下橋の東側の小山(標高36.4メートル)が堤城跡になります。 永正年間(1,504年~1,521年)に今川家臣・松井左衛門尉信薫が築城したという記録が残されています。 堤城は戦乱に巻き込まれることなく、信薫のあと城主となった弟の宗信が享禄2年(1,529年)、二俣城主として移ったことから廃墟となったといわれています。 城跡に立つと南側の展望が開け、下平川の街並みを眼下に見わたすことができます。
堤集落 春日神社
春日神社 拝殿
ここから尾根上に城跡が続いており、春日城跡とも呼ばれています。
現在「堤城」とされているのは隣の標高30m程の小山の事をいいますが、
規模的にこちらが本城であった可能性も高いといいます。